チェネレントラ資料展示 2021

 

2021年10月1日~13日の新国立劇場《チェネレントラ》公演に合わせ、新国立劇場5階の情報センターにて《チェネレントラ》関連展示を行いました(展示品と説明文:水谷彰良。密を避けるため展示場所がロビーから情報センターに変更され、使用ケースの数に沿って展示品を減らして小規模になりました)

場所と期日:新国立劇場5階、情報センター閲覧室。2021年10月1日~13日 

 ※ただし、休室日10月4日、5日、12日を除く公演日。開室時間は11:00~閉まる時間は公演日によって異なります。

  (17:00または18:00または18:30)

詳細はこちらをご覧ください→ https://www.nntt.jac.go.jp/centre/news/detail/210928_021244.html

展示品と説明文はこちらをご覧ください(PDF)

2021年10月、日本ロッシーニ協会ホームページの「NEWS」の頁に掲載。

2025年6月4日、この特設ページを設置して独立させました。(水谷彰良) 

 

 

 

 

 

 

 新国立劇場5階情報センターにおける《チェネレントラ》関連展示。撮影:井内美香

 

 

『チェネレントラ』 資料展示の展示品とその説明文 水谷彰良

《チェネレントラ》ロッシーニ自筆譜のファクシミリ(全2巻、1969年刊)

La Cenerentola. Riproduzione dell’autografo esistente presso l’Accademia Filarmonica di Bologna. Bibliotheca Musica

Bononiensis, IV / 92, Forni, Bologna, 2-vols, 1969

ロッシーニ《チェネレントラ》の自筆譜はボローニャの音楽アカデミー(Accademia Filarmonica di Bologna)に所蔵されており、その詳細は1969年にボローニャのフォルニ社が限定200部で刊行したファクシミリ版によって知ることができる。写譜者の手で書かれた序曲の低弦パート、レチタティーヴォ・セッコ、アリドーロのアリア、クロリンダのアリア以外はすべてロッシーニの肉筆で、短期間に作曲されたとは信じられぬほど整然と記譜され、無数の指示が書き込まれている。ロッシーニ全集の出版責任者フィリップ・ゴセット氏は生前、「《チェネレントラ》の自筆譜を見ればロッシーニが大天才と判る」と述べた。

展示品は筆者コレクション(限定200部のうち55番)から、第1幕の五重唱(上)と第2幕の六重唱(下)。 

 

イズアール《サンドリヨン》ピアノ伴奏譜(ウィーン、ヴァイグル社、1812年)

N. Isouard, Cendrillon, Spartito riduzione per canto e piano, Weigl, Wien, 1812

ロッシーニ《チェネレントラ》に先立つシンデレラ・オペラとして人気を博したのが、1810年2月22日にパリのオペラ・コミック座で初演されたニコロ・イズアール(Nicolò Isouard,1775-1818)作曲の歌劇《サンドリヨンCendrillon》である(その台本は《チェネレントラ》の原本となる)。展示品は1812年にウィーンのヴァイグル社が出版したピアノ伴奏譜で、1811年4月2日にドイツ語訳で行われたウィーン初演に基づいて作成された(プレート番号1195-1211。フンメル Johann Nepomuk Hummel, 1778-1837 が編曲し、ハイドンを雇用したニコラウス・エステルハージ侯爵に献呈出版)。歌詞はフランス語にドイツ語訳を併記。

 

《チェネレントラ》ピアノ伴奏譜(ライプツィヒ、ブライトコプフ&ヘルテル社、1822 / 1825-26年)

La Cenerentola, Spartito riduzione per canto e piano, Breitkopf und Härtel, Leipzig, 1822 / 1825-26

ロッシーニ《チェネレントラ》の印刷楽譜は、1822年にライプツィヒのブライトコプフ&ヘルテル社、1822-23年にパリのカルリ社とパシーニ社が出版した3種のピアノ伴奏譜が初版もしくは最初期版となる。ブライトコプフ&ヘルテル版は初版のタイトル頁(1822年。右下に19世紀最後の所有者の署名あり)と第2版の楽譜(プレート番号3730。1825-26年)で構成され、歌詞はイタリア語にドイツ語訳を併記。

 

《チェネレントラ》ピアノ伴奏譜(パリ、カルリ社、1822-23年)

La Cenerentola, Spartito riduzione per canto e piano, Carli, Paris, 1822-1823

フランスにおける《チェネレントラ》の初版楽譜は、パリの王立イタリア劇場が1822年6月8日に行ったフランス初演と前後してカルリ社とパシーニ社が制作した。先行するのはフランス初演歌手の名前を含むタイトルを伴う楽曲ピースで構成したカルリ社のピアノ伴奏譜である(プレート番号880 / 1705。歌詞はイタリア語)。展示は1822-23年のカルリ版から第1幕の導入曲(プレート番号1606)

 

《チェネレントラ》ピアノ伴奏譜(パリ、パシーニ社、1822-23年)

La Cenerentola, Spartito riduzione per canto e piano, Pacini, Paris, Nuova Edizione, 1822-1823

別記カルリ版と同時期にパリのパシーニ社が出版したピアノ伴奏譜。1822年6月8日パリの王立イタリア劇場におけるフランス初演でチェネレントラを演じた歌手エミーリア・ボニーニ(Emilia Bonini)に献呈出版され、「パリの王立イタリア劇場の第一歌手ボニーニ夫人に献呈された新版」と刻まれている(プレート番号2100。1822-23年。歌詞はイタリア語)。このエディションの特色はロンド・フィナーレの楽譜にボニーニ夫人が歌ったソプラノ用ヴァージョンを掲載したことにあり、当時の歌手の歌い替えの実例となっている。展示品は指揮者リチャード・ボニングとオペラ歌手ジョーン・サザーランド(1926-2010)夫妻の旧蔵書(蔵書票付き)

 

ウィーンのケルントナートーア劇場における《チェネレントラ》上演告知(1827年9月19日)

Locandina originale, La Cenerentola, Hoftheater nächst dem Kärntnertor, Wien(19 Settembre 1827)

ウィーンにおけるロッシーニ作品上演は1816年11月の《幸せな間違い》に始まり、続く5年間に16作品が上演された。1822年にはロッシーニが歌手を率いて4月13日から7月24日までケルントナートーア劇場で自作を上演し、旋風を巻き起こした。《チェネレントラ》の原語上演は1823年5月17日のケルントナートーア劇場が最初で、同年15回、1824年3回、1825年2回、1827年3回、1828年15回の公演が行われた。展示品はベートーヴェンの死の半年後、1827年9月19日の上演告知で、左にブルク劇場のヨハンナ・フォン・ヴァイセントゥルンの喜劇《原稿Das Manuscript》、右に《チェネレントラ》が配役付きで予告されている。チェネレントラ役は作曲家ナターレ・コッリの娘ファニー・コッリ=パルトーニ(Fanny Corri-Paltoni,1801-1861)。  

 

コヴェントガーデン王立劇場における英語版《シンデレラ》上演告知(1830年5月1日)

Locandina originale, Cinderella, Theatre Royal Covent Garden, London(01 Maggio 1830)

《チェネレントラ》の英国初演は1820年1月8日にロンドンのキングズ劇場で行われたが、より人気を博したのは1830年4月13日に《シンデレラ、または小さなガラスのスリッパCinderella, or, The Fairy and the Little Glass Slipper》と題してコヴェントガーデン王立劇場で初演された英語版である。これはアイルランド出身の作曲家マイケル・ロフィーノ・レイシー(Michael Rophino Lacy, 1795-1867)がロッシーニの《チェネレントラ》《アルミーダ》《マオメット2世》《ウィリアム・テル[ギヨーム・テル]》の楽曲を用いて構成したパスティッチョ(混成オペラ)で、シンデレラ役をメアリー・アン・ペイトン(Mary Ann Paton, 1802-1864)が演じて大成功を収めた。展示品は1830年5月1日(9日目)の上演告知。

 

 

チェネレントラ役のアルボーニ嬢(『絵入りロンドン新聞』1848年6月17日付)

Cenerentola di Maria Alboni, The Illustrated London News(17 Giugno 1848)

19世紀半ばのチェネレントラ歌手で最も高い評価を受けたのが、ロッシーニが名誉校長を務めるボローニャの音楽学校に13歳で入学し、作曲者から特別なレッスンを施されて16歳でミラノ・スカラ座にデビューしたコントラルト、マリーア・アルボーニ(Maria Alboni,1826-1894)である。これは1848年にロンドンのコヴェントガーデン王立劇場でチェネレントラを演じたアルボーニを描いた木版画で、紹介文と共に1848年6月17日付『絵入りロンドン新聞 The Illustrated London News』に掲載された。22歳のぽっちゃり体型で、王冠を被って花を持ち、背景が描かれないのでカーテンコールと思われる。アルボーニについては当公演プログラムの拙稿「低声女性歌手を愛したロッシーニ─チェネレントラにみるメゾコントラルトの特質」をご覧ください。

 

ハー・マジェスティーズ劇場《チェネレントラ》の舞台(『絵入りロンドン新聞』1849年3月24日付)

Ultima scena della "La Cenerentola", The Illustrated London News(24 Marzo 1849)

1849年3月24日付『絵入りロンドン新聞 The Illustrated London News』に掲載された、同年3月ロンドンのハー・マジェスティーズ劇場で再演された《ラ・チェネレントラ》の舞台スケッチ(木版画)。チェネレントラを23歳のマリーア・アルボーニ(Maria Alboni,1826-1894)が演じ、右下の記事に「アルボーニ嬢が有名な “もう火のそばで寂しくNon più mesta” を歌う《チェネレントラ》最終場のイラスト」と説明されている。1847年のロンドン・デビューで「これほど完璧な歌手を一度も聴いたことがない」と『タイムズ』紙に絶賛されたアルボーニは、続いてコヴェントガーデン劇場とハー・マジェスティーズ劇場でこのオペラを主演して絶賛され、音楽評論家A・ド・ロヴレは「劇場通いの人生で聴いた最も完璧な演唱は何かと問われたら、私は躊躇なくこう答える。アルボーニが歌ったチェネレントラのロンドだ」と評した。

 

ロッシーニの肖像画に基づくリトグラフ(A. C. ルモワーヌ、パリ、1864年)

Litografia basata sul ritratto di Rossini(Auguste Charles Lemoine, Paris, 1864)

若き日のロッシーニを描いた最も有名な肖像画が、ペーザロのロッシーニの家 Casa Rossini 所蔵の油彩である。作者はマイアー Mayer の署名を用いる画家マリー=フランソワーズ・コンスタンス・ラ・マルティニエール(Marie Françoise Constance La Martinière, 1775-1821)とされるが確証はない。展示品はこの肖像画を原画にパリのオーギュスト・シャルル・ルモワーヌ(Auguste Charles Lemoine, 1822-1869)が制作したリトグラフで、欄外に「G.ロッシーニ、ナポリ、1820年。ウィーンの画家マイアーに基づく」とある。

 

 

風刺新聞の表紙を飾るロッシーニのカリカチュア(『ラ・リュンヌ』1867年7月6日付)

Caricatura di G. Rossini, La Lune, Paris(06 Luglio 1867)

これは反ナポレオン3世の姿勢をとるパリの絵入り新聞『ラ・リュンヌLa Lune』1867年7月6日号の表紙を飾ったロッシーニのカリカチュアである(多色刷り木版画。作者は写真家・風刺画家アンドレ・ジルAndré Gill, 1840-1885)。大砲に点火するロッシーニと喜捨を求める痩せた犬が描かれているのは、ナポレオン3世の宮廷の求めでロッシーニが作曲し、7月1日にパリ万国博覧会の産業館で初演された《ナポレオン3世とその勇敢なる民衆への賛歌》の中で大砲を楽器として用いたのを揶揄してのこと。下部に「私のカリカチュアの掲載を喜んで許可する」と記したロッシーニの許可状(1867年6月27日付)が複製されている。