「ガゼッタ」第40号、第97号、第106号、第118号、第145号に掲載した図版より
メールマガジン「ガゼッタ」について
日本ロッシーニ協会メールマガジン「ガゼッタ」は、協会ホームページのリニューアルに伴い管理者となった音喜多晶子さんの提案により、2012年9月7日に創刊しました。水谷彰良が執筆し、月平均3回のペースで配信を続けましたが、管理者 音喜多さんの退任で2016年12月3日第154号をもっていったん停止しています。2カ月間の中断を経て、新たな管理者のもとで2017年2月11日に再開しましたが、同年末の退任で再び中断、その後 水谷彰良が管理者となって2018年3月7日に配信を再開しました(現在は月2回を目安に配信)。
新規にメルマガの受信をご希望の方は、お問い合わせの頁のフォームにお名前とメールアドレス、メッセージ欄に「メールマガジン配信登録希望」と記して送信してください。
なお、過去ご登録いただいた方から「2019年の秋から届いていない」との連絡をいただきました。どちらも配信用のアドレス帳に登録済みでしたが、未着の原因が不明のため水谷が直接メールをお送りする形で対処しておりますので、上記のお問い合わせフォームからご連絡ください。メルマガが迷惑メールホルダーに入った方は、迷惑ホルダーからの解除をお願い致します。バックナンバーは、5号ずつの「まとめ」からご覧ください(この頁の最下部にPDFで掲載)。
メールマガジン「ガゼッタ」より(2022年3月4日配信の第263号)
▼ロシアによるウクライナ侵攻とロッシーニの歌劇《マオメット2世》▼
ロシアによるウクライナ侵攻が2月24日に始まりました。その推移を見届けた筆者は4日後の28日朝、日本ロッシーニ協会フェイスブックに次の投稿をしました。
────
ウクライナを救え!─ キエフ国立歌劇場の《セビーリャの理髪師》
数日来ウクライナの惨状に腸が煮えくり返っていますが、日本ロッシーニ協会フェイスブックに個人的な怒りをぶつける代わりにキエフ国立歌劇場(タラス・シェフチェンコ記念ウクライナ国立歌劇場)が2019年4月に上演した《セビーリャの理髪師》の視聴をお薦めします。
ウクライナにおけるロッシーニ上演の水準の高さが分かります。全編の映像はこちら→ https://www.youtube.com/watch?v=p47P04LvkJ4
観劇したウクライナ人の感想がありました(以下は自動翻訳に基づく要約)──
「2019年にライブで観劇し、私たちは賞賛し、笑いました。 別の玉座から私たちの狂った世界を見ました。
時代を超えた美しい音楽! アーティストたちに感謝! 素晴らしい!!!!!!!!!」
皆さんこの上演映像を見て、現在のウクライナに思いを馳せてください。ウクライナを救え!
上演の詳細はこちら…ウクライナ語ですが→ https://opera.com.ua/afisha/sevilskiy-cirulnik-18
註:図版はテオドロス・ヴリザキスが描いた「メソロンギからの脱出」。
────
この投稿の最後に「キエフ国立歌劇場の歌手、オーケストラ、合唱団、スタッフの男たちの誰もが、祖国、同胞、家族、歌劇場を守るために武器を取るでしょう」と書こうと思いましたが、言わずもがなと考え、控えました。今回の「ガゼッタ」には、その続きとしてこれからキエフなどの都市で起こるであろう出来事を、ロッシーニの歌劇《マオメット2世》《コリントスの包囲》の文脈で述べておきます。
他国を蹂躙する戦争の第一目的が首都や主要都市の制圧です。《マオメット2世》(1820年12月3日ナポリのサン・カルロ劇場初演)は、そうした状況に直面したネグロポンテ島のヴェネツィア軍司令官パオロ・エリッソとその娘アンナの物語です(史実に基づく「時」は1470年7月)。
物語は世界征服をもくろむオスマン帝国のマオメット2世から「明日までに開城せよ」と最後通牒を付きつけられたパオロ・エリッソと指揮官たちが、徹底抗戦を決断するところから始まります。以後24時間の推移は、裏切り者が開いた城門からなだれ込んだオスマン軍にパオロ・エリッソと指揮官カルボが捕らわれ、これを救うべくアンナがマオメットに、「彼らを解放しなければ私はここで死にます」と迫ります。
かつてウベルトの偽名でアンナと恋に落ちたマオメットは彼女を妃に求め、アンナはその経緯を知らぬ父から裏切り者と非難され、愛と義務の狭間で苦悩します。そして母の墓前でカルボと結婚の契りを結んだアンナは、オスマン軍とマオメットの前で短剣を胸に突き刺して息絶えます。
《マオメット2世》の登場人物は、マオメット2世[メフメト2世]以外にも、パオロ・エリッソ[エリッツォ]、アンナ、カルボ、指揮官コンドゥルミエーロ[ボンドゥミエール]が実在の人物です。では、オスマン帝国軍に包囲された史実のネグロポンテ島はどんな結末を迎えたのでしょう…結論だけ言えば、防衛線を突破された総督は降伏しますが、指揮官たちと共に処刑され、生き残った者は全員捕虜になりました。戦死者はヴェネツィア人が6千人、オスマン軍は2万7千人です。
この敗北がイタリア全土に対する侵略のきっかけになると恐れたヴェネツィアは、メフメト2世を暗殺して決着をつけようとしますが、計画は頓挫します。史実の詳細は、アンドレ・クロー『メフメト二世』(りぶらりあ選書/法政大学出版局、1998年)の228-238頁をお読みください)。
こうした史実と《マオメット2世》は、ロシアによるウクライナ侵攻に重ねることができます。そして圧倒的な敵軍に包囲されたキエフや第二の都市ハリコフがどのような運命を辿るのかも、容易に想像がつきます。ウクライナを救いたくても核戦争をちらつかされて手を出せぬヨーロッパ諸国は、プーチンの暗殺にも……あとは言わずにおきましょう。
オペラ《マオメット2世》では最後にアンナがマオメットに母の墓を示し、「母の遺灰の上で、私は彼[カルボ]に手を差し伸べました。母の遺灰が私の血を拾います」と言って自分の胸を刺し、息絶えます。けれども台本作家チェーザレ・デッラ・ヴァッレのオリジナル台本では、胸を刺したアンナが母の墓にもたれて最後の台詞──「そして、イタリアを…征服すると…うぬぼれた…あなたは、いま教わるのです…一人のイタリア娘から。祖国がまだあの英雄たちのものであると」を語り、死んで墓の足元に倒れます。それゆえこの作品は、リソルジメントへの訴えにもなっているのです。
その意味でも《マオメット2世》は普遍的な性格を備えた作品と言えます。初演されたナポリ以外の都市では検閲で舞台上の自殺が禁じられたため、1822年末にヴェネツィアのフェニーチェ劇場で行われた最初の再演で楽曲が差し替えられ、結末もハッピーエンドに改作されました。過去に市販された上演映像(TDKコア、国内盤)もヴェネツィア改作版ですから、このオペラの真価を知りえません。
ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルは1985年、1993年、2008年に上演しましたが、映像はネット上にありません。代わりに2012年にサンタ・フェ・オペラが行った初演版の上演映像をYouTubeでご覧ください→ https://www.youtube.com/watch?v=VHXMB9nt0vs
筆者による《マオメット2世》作品解説はこちらをクリックしてください(PDF)。
▼メソロンギの悲劇の再現と社会参加の歌劇《コリントスの包囲》▼
《マオメット2世》との関連でより重要なのが、ロッシーニの歌劇《コリントスの包囲》(1826年10月9日パリ・オペラ座初演)です。これは《マオメット2世》のフランス語改作《マオメ2世》として企画されましたが、制作の過程で同時代に進行するギリシア独立戦争とそれに伴うオスマン帝国によるキオス島の虐殺(1822年)、義勇軍に身を投じた英国の詩人バイロンの死(1824年)に触発され、コンセプトが根本的に変わりました。
バイロンの死を知ったロッシーニはただちにカンタータ《バイロン卿の死によせるミューズの女神たちの嘆き》を作曲、みずからテノール独唱を務めて初演し、画家ウジェーヌ・ドラクロワも『キオス島の虐殺』を完成しました。翌年、オスマン帝国軍のメソロンギ包囲と住民の大虐殺が起きるとロッシーニは義援金を募る演奏会を行い、《ランスへの旅》(1825年)では平和と協調の象徴コリンナをギリシアの孤児の保護者にしました。
検閲官の介入で《コリントスの包囲》の台本に含まれるギリシア問題への言及が削られても、独立戦争との結びつきは失われませんでした。その証左となるのが、3幕に拡大する過程で新たに作曲した第3幕N.14のレシ、セーヌと合唱「この勝利の叫びに答えよう」です。そこでは、いつの日か祖国が自由を回復するだろうとのイエロスの予言に力を得て、人々が死を賭して最後の戦いに赴きます。これはダミアン・コラスが指摘するように、包囲されたメソロンギから脱出しようとするギリシア人を鼓舞してメソロンギ司教ジョゼフが行った「旗の祝福」と呼ばれる誓いの儀式の再現です。男たちが戦いに赴くと、地下墓地に残った女たちは神に慈悲を乞いますが、マオメとオスマン軍兵士が乱入してヒロインのパミラが自害します。そこでの《マオメット2世》との違いは、コリントスの町が炎に包まれる光景を見せて幕を下ろす締め括りです。
史実のメソロンギ包囲では、女子供を救うため幾つもの門を爆破して7千人のギリシア人が脱出を試み、皆殺しになりました。そして追い詰められた民衆が大量の爆薬に点火して自爆死したことは、1826年5月のパリの新聞に「現代の最も悲惨な出来事」として大々的に報じられました。《コリントスの包囲》がこの惨事の再現であることは、初演批評が「私たちはコリントスの中にメソロンギを見た」「私たちにとってコリントスの防衛者たちは[中略]ネオクレスともクレオメーヌとも呼ばれなかった。それは誰もが口にし、誰もが想像した直近の思い出にある他の人たちの名前であった」と記したことでも判ります。
ヨーロッパ諸国の参戦でオスマン・エジプト連合軍が敗北し、ロンドン条約でギリシア独立が承認されたのは1830年2月、《コリントスの包囲》初演の3年4か月後です。その半年前、ロッシーニはパリ・オペラ座初演の《ギヨーム・テル》で圧政と戦うスイス・アルプスの民衆の戦いと勝利を描きました。主人公ギヨーム・テルにティロル独立戦争の英雄で1810年に銃殺されたアンドレアス・ホーファーの記憶をとどめることは、1830年5月に英国初演される際に第三者の手で《ホーファー、またはティロルのテル》に改作されたことでも判ります。
このように、「時事問題と直接的な結びつきを持つ」「今日言うところの社会参加のオペラ」(ダミアン・コラス)を生みだしたのがロッシーニなのです。悲劇的結末の《マオメット2世》《コリントスの包囲》からフィナーレで民衆が自由を称える《ギヨーム・テル》に到達するために、私たちは何をなすべきか……それが問われています。
《コリントスの包囲》オリジナル・フランス語版の2000年ROF上演の映像もありますが(https://www.youtube.com/watch?v=HZXl0Q0rQZ8)、個人的には2002年のアテネ国立歌劇場のイタリア語版がお薦めです→ https://www.youtube.com/watch?v=6McEtbPpQjk
筆者による《コリントスの包囲》作品解説はこちらをクリックしてください(PDF)。
(水谷彰良 2022年3月4日配信の第263号より。text by Akira Mizutani)
メールマガジン「ガゼッタ」のサンプル
《コリントスの包囲》
(アドリアティック・アレーナ。2017年8月13、16、19日観劇)
筆者の席は平土間1列目ど真ん中(指揮者の斜め右後ろ)。最初に登場したロベルト・アッバードが右腕を固定しているのに驚きました。怪我ではなく、上腕骨外側上顆炎(別名:テニス肘)とのこと。右手は指が動くだけ。左手だけの指揮はさぞ不自由と思いますが、素晴らしい序曲の演奏に圧倒されました。演出は、序曲の間に背後にバイロンの長編詩『コリントの包囲』(1816年)のテキストを映写し、大きなペットボトル…たぶん容量20リットル。但し中身の水は2リットル程度…を担いで客席側から現れる合唱団と助演によりすでに始まっています。2011年ROF《エジプトのモゼ》ヴィック演出さながらの開始で、衣裳の趣味の悪さに嫌な予感がしました。
正直なにがなんだか解らない。その後舞台に積み上げられた1000本以上のペットボトルが「壁」となり、オスマン軍に包囲されるコリントスの内と外を隔てているようです。演出意図は後述しますが、第2幕の背後に映写された泥の映像も含め、全体に悪趣味かつ意味不明な印象で、バレエも最後に喧嘩沙汰を見せるだけ。音楽が素晴らしいのに何てことするんじゃ!と腹が立ちました。
管弦楽は今年から採用されたRAI国立交響楽団、合唱団も新規採用の100人を超えるヴェンディーディオ・バッソ劇場合唱団(マルケ州の合唱団でマチェラータ音楽祭にも出演)。どちらもアッバードの指揮で引き締まった演奏を繰り広げ、昨年までのボローニャ歌劇場管弦楽団&合唱を凌ぎます。
歌手も総じて素晴らしい出来。マオメ2世のルカ・ピサロニ(ベネズエラ生。イタリア育ちでルーカ・ピザローニとも)は堂々たる体躯と高貴な声質を具え、パミラ役のニーノ・マチャイゼ(トビリシ生)も独特な表情とドラマティックな歌唱が際立ちました。ネオクレス役のロシア人セルゲイ・ロマノフスキーもなかなかいいテノールで新発見。脇役では、昨年の若者公演《ランスへの旅》で筆者が絶賛した新人テノールのシャビエル・アンドゥアガが実にいい声です。これに対し、クレオメーヌ役のアメリカ人ジョン・アーヴィンはひょろ長い身長と癖のある声で役に相応しいとは思えず、イズメーヌ役のチェチーリア・モリナーリもあと一歩の感がありました。
3回観劇しましたが、1回目は特殊な演出に目を奪われて耳がおろそかに。個人的には最終日が一番安定していたように思います…2回目は第2幕のレシタティフで歌手の一人が歌詞を忘れ、一瞬の間を生じました。ROFはプロンプターを使わないので、稀にこうしたことがあります。なお、今回の上演でダミアン・コラス校訂の新クリティカル・エディションが初めて使われました。パリ・オペラ座に現存する演奏素材をすべて調べ、初演時に演奏されなかったバレエ音楽や初演後に追加された音楽を20分ほど追加したとのこと。
さて、問題はスペインの鬼才カルルス・パドリッサ率いる前衛演劇集団ラ・フラ・デルス・バウスによる演出です。そのコンセプトは人間の歴史に絶えることない戦争にあり、宗教や民主主義は建前にすぎぬ、黄金と石油を争奪する時代が終わり、今後人類は命の根源をなす「水」を求めて殺し合うだろう…というもの。舞台を「死」と「生」…言うまでもなく水は生のシンボル…の場に変換し、ギリシア人とトルコ人の区別も判然としません。
そもそも《コリントスの包囲》は当時現実に進行するギリシア独立戦争に対するオスマン帝国の弾圧という時局的テーマを扱った作品です。それを核戦争後に生き残った人間が水や食料を求めてサバイバルの戦いを続けるSF的未来にするのはいかがなものか! 今回も会期中にバルセロナでテロ事件が起き、最終日にはテロの犠牲者に本日の公演を捧げる旨の演出家のメッセージがアナウンスされました。《コリントスの包囲》が同時代の戦争とリンクした特異な作品であることを考えれば、現代の危機的状況と重ねるべきではなかったか、というのが筆者の意見です。
さらにケチをつけるなら、大きなプラカードで示された死体(?)の数々は、かつてスペイン人が支配地域で行った先住民の虐殺を想起させました。第2幕でパミラにタトゥーを強制し、支配者側に組み込もうとする見せ方も疑問です。そもそもオスマン帝国はそんなことをしませんし、バイロンのテキストの映写も含め、歴史のごった煮に水戦争に持ち込んでどうするんだ、と思いました。最後にパミラがマオメ2世に接吻し、自害して倒れますが、マオメはリアクション無し。炎上するコリントスの町を音画的に管弦楽が表す部分でペットボトルの壁を崩す幕切れも、最初はあっと驚きましたが、3回目はちょっと意地悪く崩す仕掛けを観察していました。驚きはあっても感動や衝撃の余韻がない、そこがヴィック演出《エジプトのモゼ》との違いですね。
ちなみに第1幕でペットボトルの水を煙の出ている穴に注ぐ意味が判らずレート・ミュラーに尋ねたら、「あれで《試金石》のプールに水を貯めているのさ」と絶妙な返しをされ、爆笑しました。筆者も知人に、「あの大きなペットボトル、焼酎『大五郎』の4リットルボトルかと思った」と言って笑いました。衣装の趣味の悪さに誰もが呆れていました。演出意図とは別に突っ込みどころの多い《コリントスの包囲》。これにコリント(懲りんと)また見てね、とのダジャレで締めました。 (水谷彰良。2017年9月7日配信の第164号より)
メールマガジン「ガゼッタ」のサンプル
▼ロッシーニ新譜《モイーズ》とリリース情報に見る諸問題▼
ロッシーニのフランス・オペラ《モイーズ》の全曲CDが発売されました。
◎《モイーズ(Moïse)》2018年7月ヴィルトバートのロッシーニ音楽祭(ライヴ録音)
ファブリーツィオ・マリーア・カルミナーティ指揮ヴィルトゥオージ・ブルネンシス, グレツキ室内合唱団 アレクセイ・ビルクス(B/モイーズ)、ルーカ・ダッラーミコ(B/ファラオン)、ランドール・ビルズ(T/アメノフィス)、パトリック・カボンゴ(T/エリエゼル)、バウルジャン・アンデルジャノフ(B/オジリド&神秘の声)、シュー・シャン(T/オフィド)、シルヴィア・ダッラ・ベネッタ(S/シナイド)、エリーザ・バルボ(S/アナイ)、アルバーヌ・カレール(Ms/マリー)
録音:2018年7月バート・ヴィルトバート Naxos 8660473 (CD3枚組) 海外盤
周知のように旧作《エジプトのモゼ》をパリ・オペラ座のために改作した作品ですが、単なるフランス語テキストへの置き換えではなく、大幅な改作により「新作」と位置付けられます。これは2018年7月ヴィルトバートのロッシーニ音楽祭の上演ライヴ録音。ときにオーケストラと合唱に乱れはありますが、総じて水準の高い演奏です。
その成否は皆さんの耳で確かめていただくとして、ここで指摘しておきたい重要問題があります。それが、CDのタイトルどおり《モイーズ》とすべきこの作品が《モイーズとファラオン》の題名で流布してしまったこと。原因は、自筆譜が存在しないこの作品が初版台本で《モイーズとファラオン、または紅海横断(Moïse et Pharaon, ou Le passage de la Mer Rouge)》とされ、題名を確定する根拠になってしまったことにあります。
実はロッシーニと二人の台本作家、新作を求めたオペラ座とその関係者すべてが題名を《モイーズ》としていたのに、なぜか初演前に刷られた台本の題名が《モイーズとファラオン、または紅海横断》なのです。初演告知も誤って《モイーズとファラオン》とされたらしく、2日目の告知で《モイーズ》に変更されました。ロッシーニの関与した初版楽譜(ピアノ伴奏譜と総譜)も題名は《モイーズ》ですから、《モイーズとファラオン》は印刷台本のミスでしかないのです。
ところが困ったことに1997年にROFが初上演した際に題名を《モイーズとファラオン》とし、今年ROFが予定した上演もこれを踏襲、コロナ禍で延期された来年も《モイーズとファラオン》で告知されているから不思議です。とはいえ研究者の誰もが「《モイーズ》でなきゃアカン!」と理解しているので、2018年7月ヴィルトバートのロッシーニ音楽祭も《モイーズ》としたのです。ちなみに筆者は2012年12月発行『ロッシニアーナ』第33号の「日本語によるロッシーニ・オペラ目録──批判的註釈を伴う日本語による作品目録の試み」に、題名を《モイーズ》とすべき根拠を示しておきました。日本ロッシーニ協会ホームページからご覧ください→ https://www.akira-rossiniana.org/ロッシーニのオペラ/
こうした問題が周知徹底されないため、今回発売された《モイーズ》のリリース資料(発売・販売元提供の宣伝文)も題名を《モーゼ(モイーズとファラオン)》としています(HMVやタワーレコードのサイト参照)。実は日本語の宣伝文にはもっとマズイことが書かれています。フランス語版《モイーズ》が「水の上を歩く」とされているのです──「聖書でおなじみの“モーゼが紅海の水を二つに割る場面“(フランス語版では水の上を歩く)も登場するスペクタルな作品」(前記リリース資料)
《エジプトのモゼ》も《モイーズ》も設定は旧約聖書の「出エジプト記」どおりで、モーセとヘブライ人は海が分かれて現れた道を歩んで対岸に渡り、追手のファラオとエジプト軍がその道を進むと海が閉じて呑み込まれてしまいます。にもかかわらず、なぜ「水の上を歩く」という誤解が生じたのか……これはフランス語台本のあり方だけでなく、そう解釈してあらすじを書いてしまった人がいるからです。
この問題についてはメルマガ次号に少し詳しく書きますので、いまは「水の上を歩く」なんてトンデモ言説に惑わされないようにしてください。 (水谷彰良。2020年8月30日配信の第229号より)
▼モイーズが水の上を歩くという誤解について▼
今夏のROFで上演を予定し、コロナ禍で来年に延期されたロッシーニ《モイーズ》に関してさまざまな問題があることは、8月30日配信の「ガゼッタ」第229号に書きました。ROFが題名を《モイーズとファラオン》としたのもその一つですが、新譜のリリース情報が「モイーズ(モーセ)が水の上を歩く」とした点も見逃せません。
周知のように、《モイーズ》(1827年)はロッシーニが旧作《エジプトのモゼ》(1818年。改作1819年)をパリ・オペラ座用にフランス語テキストで改作したオペラです。原作は旧約聖書の「出エジプト記」。物語の流れを変えてバレエを追加し、《エジプトのモゼ》に無かったモーセが十戒を授かるシーンも新たに加えるなど大幅に改作したので別作品とされますが、クライマックスはどちらも海が割れて現れた道をモーセとヘブライ人が歩んで対岸に渡り、追手のファラオとエジプト軍がその道を進んで海に呑み込まれるスペクタクルなシーンです。
誰もが知るこの有名シーンに、なぜ「水の上を歩く」という誤解が生じたのでしょう。原因は間違いなく、奇跡が起きる直前のモーセの台詞(歌詞)にあります。《エジプトのモゼ》初演版では、モゼが神に「私たちを救うべく、あの水を分けてください(Dividi a nostro scampo ancor quell’acque)」と願って手に持つ小枝で海にふれると、波が分かれて道が現れます。有名な〈モゼの祈り〉を挿入した改作版(1819年)では、モゼが「臆病者たち、ああ、黙りなさい! そして偉大なユダヤの神の力を賛美するのだ(Tacete o vili! / E del gran Dio di Giuda / Ammirate il potere)」と言って小枝で海にふれ、波が分かれて道が現れます(以上、初版台本の歌詞とト書きより)。
ところが《モイーズ》は表現では、モイーズがヘブライ人たちに「神が私の足の下で固くする液体の平原を歩きなさい(Marchez sur la plaine liquid, que Dieu raffermit sous mes pas.)と言って波の真ん中に歩み出し、ヘブライ人たちが彼に従う、とあります。続いてヘブライ人たちの合唱が「奇跡だ! 臆病な波がそそり立ち、私たちを覆わない。歩もう、液体の平原は至る所で私たちの足の下で固くなる(Prodige! la vague timide / S’élance et ne nous couvre pas. / Nous marchons, la plaine liquid / Partout s'affermit sous nos pas!)と歌います(初版台本の歌詞とト書きより)。
「足の下で固くする液体の平原を歩きなさい」と「液体の平原は至る所で私たちの足の下で固くなる」だけを読めば、固まった海の上を歩いたと思う人がいるでしょう。でも彼らは「波がそそり立ち、私たちを覆わない」奇跡を目の当たりにしているのです。それだけではありません。続くシーンで追手のファラオンが「彼らはどうなったのだ!…深い海の只中で彼らは死んでいるのか?」と問うと、アメノフィスが「違います。波を横切って、彼らが道を開くのをご覧ください!(Non, à travers les ondes / Voyez-les s'ouvrir un chemin!)」と答えます。ですからそこで起きたことは、チャールトン・ヘストン主演の映画『十戒』(1956年)で描かれたのと同じです→
https://www.youtube.com/watch?v=OT0eX7FZXv4
この一致は、どちらの台本作家も旧約聖書の記述に従っているからです。そこでは神がモーセにこう言います──「杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる」。そしてモーセが手を差し伸べると水が分かれ、「イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった」のです(「出エジプト記 14. 15-22」共同訳)。
《モイーズ》の「足の下で固くなる液体の平原」とは、海が二つに分かれて現れた「海の中の乾いた所」を台本作家が詩的に言い換えたにすぎません。そもそもモーセが水の上を歩き、大勢のヘブライ人が同じように水の上を歩いて後に続くなんてあり得ません。聖書や聖人列伝の中には預言者や聖人が起こした水にまつわる奇跡が書かれていますが、水の上を歩く奇跡を行ったのはイエス・キリストただ一人です。それこそが「神の子」の証なのです。フランツ・リストのピアノ曲「水の上を歩くパオラの聖フランチェスコ」もしくは「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」と訳された作品(S.175 R.17)の聖フランチェスコ(1426-1507)も、海の上を歩いたのではなく、自分のマントを海に広げてその上に乗るとマントの一部が持ち上がって帆のようになり、メッシーナ海峡を渡ることができたのです。
《モイーズ》の初演では現代の演出家の先駆をなす人物が舞台を手掛け、その演出プランの該当部分にもこう書かれています──「モイーズは白い杖を広げ、海に向かって歩く。波の真ん中が地面に窪み込み、大きな通路を形成する。ヘブライ人たちがモイーズの後を追う」。
ですからモイーズ(モーセ)が水の上を歩くなんて、トンデモ解釈以外のなにものでもありません。けれども過去、このオペラのあらすじにそう書かれたものがあります。それが1997年ROFプログラムのあらすじ(パオロ・ファッブリ筆)で、モイーズが「波の上を歩き始める(iniziando a camminare sulle onde)とあります。ちょっと恥ずかしいミスですね。来年のプログラムにもそれが再掲載されるのでしょうか… 次回は日本語訳も載りますので要注目です!
(水谷彰良。2020年10月20日配信の第231号より)
メールマガジン「ガゼッタ」バックナンバー
「ガゼッタ」2012年9月7日の創刊号から2021年3月10日配信の第240号までのバックナンバーを、5号ずつ「まとめ」として当サイトに掲載します(PDF)。
新規掲載のPDF原稿(2020年以降)
2020年9月22日 ──「ガゼッタ」まとめ (42) (43) (44) (45)
2021年5月17日 ──「ガゼッタ」まとめ (46) (47) (48) New !
「ガゼッタ」のまとめ 2012年9月7日の創刊号より
001-005 006-010 011-015 016-020 021-025 026-030 031-035
036-040 041-045 046-050 051-055 056-060 061-065 066-070
071-075 076-080 081-085 086-090 091-095 096-100
101-105 106-110 111-115 116-120 121-125 126-130 131-135
136-140 141-145 146-150 151-154 ── 管理者の退任により、2か月間中断 ──
155-160 161-165 166-169 ← 第169号が2017年最後のメルマガとなります。以下 2018年。
170-175 176-180 181-185 186-190 ←189号から2019年 191-195 196-200
201-205 206-210 211-215 ← 215号から2020年 216-220 221-225 226-230 New
231-235 ← 235号から2021年 New ! 236-240 New !