特設:美食家ロッシーニ

 

『美食家ロッシーニ 食通作曲家の愛した料理とワイン』(春秋社) の発売を記念し、美食家ロッシーニに関する特設サイトを設置しました。ここでは同書で割愛したロッシーニの名を冠した現代の食品と飲み物、追加情報、関連文書などを随時紹介します。著作権は水谷彰良に帰属し、無断転載を禁じます。当サイトのお問合せフォームからご連絡ください。

 

更新記録

 2024年1月30日──「特設:美食家ロッシーニ」を開設 

 

 

「ロッシーニと料理」から「美食家ロッシーニ」へ

美食家ロッシーニとその料理に関する日本語の文献は、1993年に出版された拙著『ロッシーニと料理』(透土社 [発売:丸善])が最初です。これはこのテーマを研究的視点で取り上げた世界初の書で2000年に追補新版も出版されましたが、出版社の倒産により絶版となりました。このたび春秋社から上梓した『美食家ロッシーニ』は旧著の完全リニューアル版であると共に、ロッシーニのトリュフ・サラダのレシピや逸話の初出、ヴァーグナーが自伝に記したロッシーニが出元とされる警句とこれを掲載した新聞を特定するなど、過去30年間の個人研究の成果を採り入れた決定版です。これにより、読み物だった旧著が研究書にグレードアップできたと自負しています。(水谷彰良)

春秋社のサイトに掲載された『美食家ロッシーニ』の紹介はこちらをご覧ください ↓

https://www.shunjusha.co.jp/book/9784393932308.html  

 

『美食家ロッシーニ 食通作曲家の愛した料理とワイン』(2024年、春秋社)

『ロッシーニと料理』初版 (1993年、透土社 [発売:丸善]) と新版 (2000年、同前)

 

自筆メニュー、楽譜、書簡、カリカチュアより

『美食家ロッシーニ』では現存するロッシーニの自筆メニュー、ロッシーニが作曲した食べ物と料理の音楽、書簡に書かれた食品、美食家ロッシーニのカリカチュアなどを系統的に紹介しています。その中から、筆者が撮影した自筆メニューと楽譜の写真、筆者コレクションの図版をここに掲げます。

 

ロッシーニ自筆メニュー(パリ公立病院連合アーカイヴ所蔵。筆者撮影

 

ロッシーニの自筆メニューはメモ書きを含めて6点現存しています。これはパリ公立病院連合アーカイヴに所蔵されるメニューで、筆者が1992年に撮影した写真です。映りが悪く、画像を加工したのでオリジナルとは見え方が異なり、拙著では文字部分のファクシミリを使いました。詳細は『美食家ロッシーニ』I「ロッシーニの自筆メニュー」をご覧ください。

 

ピアノ曲《干しイチジク》自筆譜(ロッシーニ財団所蔵。筆者撮影) 

 

晩年のロッシーニは《四つの前菜》《四つのデザート》《ロマンティックな挽き肉》など、食べ物や料理の題名を付けたピアノ曲を作曲しました。《干しイチジク》は《四つのデザート》の第1曲で、(私はここにいます  ─  ボンジュール、マダム)》と副題されています。ここに筆者が撮影した自筆譜の冒頭頁を掲げます。詳細は『美食家ロッシーニ』VI「食べ物と料理の音楽」をご覧ください。

ロッシーニの美食書簡

(ジュゼッペ・ベッレンターニ宛、1853年12月28日。19世紀末の写真複製)

 「通称ペーザロの白鳥からエステのソーセージ作りの鷲へ あなたは私に特製のザンポーネやカッペッレッティの恩恵を授け、高く高く飛び去ってしまいました。私は大昔のポー河の沼地低くからではありますが、格別の感謝の叫び声をあげています。あなたの作った品々は、あらゆる点で完璧とお見受けしました……」

これはモデナの豚肉加工食品豚肉加工食品店の店主ジュゼッペ・ベッレンターニ宛の礼状で、ロッシーニはザンポーネ[zampone 調味した豚肉を豚の脛から蹄までの皮に詰めた加工品]やカッペッレッティ[Cappelletti 仔牛肉、ハム、チーズ、卵を包んで中世の帽子型に折った小型パスタ]を高く評価し、パリから何度も取り寄せました。 

 詳細は『美食家ロッシーニ』IV「書簡の中の美食」をご覧ください。 

 

マカロニ皿の上のロッシーニ

(ダンタン・ジュンヌ作。19世紀末に撮影された写真の複製。筆者所蔵)

 

著名な彫刻家ダンタン・ジュンヌ(Jean Pierre Dantan [dit Dantan Jeune], 1800-1869)が制作したブロンズ像『マカロニのロッシーニ(Rossini au Macaroni)』です。ここに載せたのは筆者が持つ19世紀末に撮影された写真の複製で、映りが良くないので書籍ではブロンズ像を所蔵するパリのカルナヴァレ博物館のサイトの写真を掲載しました。

詳細は『美食家ロッシーニ』V「美食家ロッシーニのカリカチュア」をご覧ください。

 

 

 

日本のテレビ番組におけるロッシーニと料理

旧著『ロッシーニと料理』はさまざまな日本のテレビ番組のネタ元になりました。筆者が協力した主な番組に、次のものがあります。(水谷彰良)

 

芸術に恋して!/厨房に入った作曲家~イタリアオペラの巨匠ロッシーニ~ 2002年3月29日TV東京放送 

これは筆者が関与したTV番組の中で最も本格的に美食家ロッシーニを扱ってくれました。というのもディレクターが制作前に相談に来て話をよく聞いてくれただけでなく、ダメもとで勧めた各国での取材も丹念に行ってくれたからです。そのおかげでパリ公立病院連合(アッシスタンス・ピュブリック)のアーカイヴ、ペーザロのロッシーニ音楽院とその展示室、レストラン「ロ・スクディエロ」のほか音楽評論家ティエリー・ボヴェールも映像で出演し、重要な資料も撮影されました。

番組は高嶋ちさ子さんが司会を務め、美輪明宏、中尾彬ほかの会話を挟んで進行しましたが、海外取材の映像で構成した部分だけで32分に及び、ドキュメンタリーの話の流れも『ロッシーニと料理』を基に良くまとめられていました(編集前にチェックさせてくれなかったので、残念なミスもありますが…)。クレジットに「資料協力  水谷彰良」と表示されました。

 

食彩の王国/パスタ 2006年10月21日 TV朝日放送

「食彩の王国」は現在も放送されている由緒ある番組です。2006年10月21日に放送された「パスタ」編では、全編21分のうち前半部がロッシーニとパスタで構成され、後半部は日本におけるパスタ受容がテーマになっています。「マカロニ・ロッシーニ風」を手掛かりにヨーロッパにパスタを広めた功績に光を当て、ロッシーニ作曲の歌曲「ラッザローネ」の紹介で前半を終えるとともに、番組をロッシーニの言葉「パスタをゆで、混ぜ、供するには、知性が要求される」で締め括っています。優秀なイタリア人シェフとしてこの番組にイーヴォ・ヴィルジーリオさんを紹介したのも筆者ですが、末尾のクレジットには筆者の名前を出さず、「〈協力〉日本ロッシーニ協会」としてもらいました。

 

日立 世界ふしぎ発見! イタリア美食街道の魔力 2008年11月1日 TBS放送

パルマ、モデナ、ボローニャを「イタリア美食街道」として紹介するクイズ形式の番組です。ロッシーニの美食がその象徴に取り上げられ、2008年11月に来日するロッシーニ・オペラ・フェスティヴァルの宣伝も兼ねていました。クレジットに筆者の名前はありませんが、事前にディレクターの取材を受け、『ロッシーニと料理』が参考にされています。

 

ららら♪  クラシック 食欲の秋~美食と音楽家 2012年9月23日 NHK Eテレ放送

NHKの人気クラシック番組「ららら♪  クラシック」で2012年9月23日に放送された「食欲の秋~美食と音楽家」は、ベートーヴェン、ロッシーニ、シューマン、バッハをコース料理にして構成されました。ロッシーニは「トゥルヌド・ロッシーニ」とピアノ曲「ロマンティックなひき肉」の紹介が中心で、末尾のクレジットに取材協力として筆者の名前があります。

 

タモリ倶楽部 昔のスーパースターもゴシップまみれ!? 2013年5月4日 テレビ朝日放送

この回の正式なタイトルは「昔のスーパースターもゴシップまみれ!? クラシック作曲家のスキャンダルな素顔に迫る」。制作会社のADから「ロッシーニのピアノ曲《ロマンティックなひき肉》の楽譜を入手したい」と依頼があり、貸与しました。番組ではCDをかけながら楽譜が映されました。

 

他にも 2015年9月28日 テレビ朝日放送「Qさま‼ プレゼンツ 葉加瀬太郎が教える!世界のスゴい音楽家音楽ハカセ3時間SP」がクイズ形式でロッシーニを取り上げました。僅かな時間の中で「下積み無くして得た “成功人生” 20代後半のロッシーニ」が「指揮棒を包丁に持ち替え」「(37歳になると) 突如内に秘めた野望を実行する」と駆け足で説明され、音楽家を辞めた理由を「実は料理人になりたかった」と結論付けるなど、別な種本を基に誤った解釈で放送されました。こうした誤謬の起源については『美食家ロッシーニ』IIIの「豚を飼育し、レストランを開いたという誤解」(pp.90-93) に書きましたのでご覧ください。

 

ロッシーニの名を冠した現代の食品

ロッシーニは食通・美食家として有名ですから世界の食品メーカーが「ロッシーニ」と命名した食べ物や飲み物を販売しています。ここでは最初にイタリアにおける主な製品を紹介し、続いて日本の食品も掲げておきます。

記念年に特化した期間限定の製品が多く、筆者が後生大事に保管していた品もあります。(水谷彰良)

グエッリーノ社のパネットーネ「ロッシーニ」 Panettone "ROSSINI"

ロッシーニ生誕150年を記念して2018年にペーザロの隣町ファーノのグエッリーノ社(Guerrino Pasticceria & Banqueting 1947年創業)が発売したパネットーネ「ROSSINI」。「伝統を重んじた独特の味と香りをもつ職人技のパネットーネ。 生地はシナモンとベルガモットで飾られ、さらに半砂糖漬けのリンゴのキューブとミルクチョコレートのチップで豊かにされ」「ロッシーニの生誕150周年を記念し、劇場を彷彿とさせる特製ケース」に収められています。箱の上蓋の裏に切り絵を並べて配置するアイディアが素晴らしいですね! グエッリーノ社のサイトはこちら ↓ 

https://www.guerrino.it/it/catalogo/panettone-rossini-con-mele-candite-cannella-e-bergamotto-133

 

フラミーニ社のロッシーニ・クリーム付きコロンバ・パスクワーレ

Colomba Pasquale con Crema Rossini

コロンバ (Colomba) は材料と製法がパネットーネと似ている発酵菓子パンで、平和の象徴である鳩の形にして復活祭に食されます。フラミーニ社(Flamigni Srl)は1930年にフォルリで創業され、「ロッシーニ・クリーム付きのコロンバ・パスクワーレ」はロッシーニ・クリームを 23%、半砂糖漬けイチゴを 6.5%用いる点で同社の他のコロンバとは異なり、ピンク色のケースに収められています。

                     フラミーニ社のサイトはこちら→ https://www.flamigni.it/colombe/ 

 

ドルチャリーア・マルケ社のモレッタ風トルタ Torta alla Moretta

 

2015年8月にペーザロでオーストリア人のグルーバー夫妻から頂戴したトルタです (300g)。直径20センチ、厚さ4センチの手作り箱に入っています。メーカーはアンコーナのドルチャリーア・マルケ (Dolciaria Marche Srl)。サイトを見るとマルケ地方のサラミ、チーズ、菓子を製造販売しており、そこでのモレッタ風トルタはロッシーニの肖像ではなく漁港の風景がデザインされています。ということは、ロッシーニの肖像付きはROFのお客をターゲットにしたペーザロ仕様なのかも。外箱はロッシーニ・ファンのコレクターズアイテムです! 

 

マリーニ社のトリュフ・ソース Tartufata Rossini - Marini

 

ロッシーニの故郷ペーザロの近郊アクワラーニャ (Acqualagna) のトリュフ専門メーカー、マリーニ社 (Marini) の「タルトゥファータ・ロッシーニ (Tartufata Rossini) です。見るからに美味しそう。タルトゥファータ・ロッシーニ → https://en.trufflespecialties.com/rossini-truffle-180g/

マリーニ社の製品はこちら→ https://en.trufflespecialties.com/products-catalog/

ロッシーニが愛したトリュフについては『美食家ロッシーニ』の「Ⅱ トリュフ、フォアグラ、マカロニ」をご覧ください。 

 

ポンティ社のバルサミコ酢「ロッシーニ」 Aceto Balsamico "Rossini"

 

モデナ特産のバルサミコ酢の中で、日本のスーパーでも見かけるのがポンティ社 (Ponti) の製品です。同社は1787年創業の老舗で「ロッシーニ」と命名された製品が複数ありますが、日本には輸入されていません。写真のそれは一番凝ったデザインの品です。

詳しくはこちら→ https://www.ponti.com/en/product/modenaceti-and-rossini/rossini-galloncino-balsamic-vinegar-of-modena-pgi/

フォスキ社のロッシーニ・コーヒー  Foschi Caffè "ROSSINI"  

 

「ロッシーニ」と命名されたコーヒーはイタリアの複数メーカーが販売していますが、筆者の一押しはフォスキ社 (Foschi) の製品です。1950年にフォスキ家がペーザロで開業した店で、筆者は1989年に初めてペーザロを訪れて目抜き通りの店を見つけ、肖像画付きの製品に大喜びしました。ここには載せませんが立派なスチール缶入りの製品があり、いまなお保管しています! フォスキ社は現在ヴァッレフォリア (Vallefoglia) に移転していますが、ペーザロで製品を見つけたら買ってください! フォスキ社のサイトはこちら→ https://www.caffefoschi.com/

 

 

左からCOVIM社の「ロッシーニ」とそのラベル、ピサウルム社の「ドン・バルトロ」「白鳥」「ドン・バジーリオ」 

マルケ州COVIM社の発砲ワイン「ロッシーニ」 Vino frizzante "ROSSINI" 

ペーザロの南20km、マルケ州モンテマッジョーレ・アル・メタウロ村 (Montemaggiore al Metauro)、COVIM社の発砲白ワイン「ロッシーニ」です。筆者の記憶ではロッシーニ生誕200年の1992年にペーザロで購入し、日本に持ち帰りました。その後このラベルのワインは見たことが無く、ネット上にも掲載されていません。現在のCOVIM社はワインメーカーではなく、さまざまな形状の瓶 (ボトル) を製造販売していますので、このワインは記念年に特化した製品のようです。

 

PISAURUM社のワイン  ドン・バルトロ / 白鳥 / ドン・バジーリオ  Don Bartolo / Il Cigno / Don Basilio

マルケ州ヴァッレフォリア(Vallefoglia)のピサウルム (PISAURUM) 社が発売したワインです。ぶどうの品種ごとに名称が「ドン・バルトロ」「白鳥」「ドン・バジーリオ」と異なります。最初はロッシーニ没後150年の2018年に4本……白ワインの「白鳥」と「ファッリエーロ」、赤ワインの「ドン・バルトロ」と「ドン・バジーリオ」……がセットで発売されましたが、現在は上記3本のみとなっています。詳しくはこちら→ https://www.pisaurum.it/en/rossinis-selection 

 

ビオ リヴィエーラ社のパスタ「ロッシーニ」  Spaghettini "ROSSINI"

アブルッツォのパスタメーカー (Bio Riviera)  社のスパゲッティーニ「ROSSINI」。写真は日本で2013年に購入した5kg詰め。輸入会社はイタリア食材専門のコルティボーノトレーディングで、楽天の「オリーバ・オリーバ Olive-Olive」社のサイトにこう紹介されていました──「ロッシーニは、イタリア/アブルッツォ州ペスカーラに拠点を置く、ビオ リヴィエーラ社のブランド」「ロッシーニのパスタは、主にレストランシェフの意見を取り入れ、イタリアのパスタイオ (パスタ職人) が作り上げたまったく新しいパスタブランドです」。

               残念ながら、現在は製造されていません。

 

日本で発売された主なロッシーニ食品

ウェンディーズのハンバーガー「フォアグラ・ロッシーニ」

2011年12月、表参道にハンバーガー・チェーン「ウェンディーズ」が再上陸しました。目玉のジャパンプレミアム新商品が「フォアグラ・ロッシーニ」です。価格もメニューで一番高い1,280円(2011年の話です)。筆者は翌2012年に六本木店で購入し、持ち帰って撮影したのがこの写真です。フォアグラはソテではなくテリーヌ。意外に大きいのが3つビーフパティに乗っていました。味は濃厚で本格的と思って調べたら、トリュフ・ソースとマデイラ・ソースも使っているとのこと。とても美味しかったけど、現在はメニューにありません。

ニッポンハムの「PREMIUM®ロッシーニ風ハンバーグ」

2014年2月10日に発売されたニッポンハムの「PREMIUM®ロッシーニ風ハンバーグ」です。フォアグラとトリュフを用い、「フォアグラ (ハンバーグ中3.2%) の旨みをハンバーグに包み込み、トリュフ (ソース中1.0%) を加えた濃厚デミグラスソースで煮込みました」とのことです。筆者は前年ニッポンハムの某部署の方から「ロッシーニ風」の名称使用に関する問い合わせをいただきました。「付加価値が高く、家庭で作ることが難しい高級ハンバーグ」のプレニアム商品開発の一環で「牛タンシチューハンバーグ」も同時発売されました。希望小売価格は390円 (税込)

ニュースリリースはこちら→ https://www.nipponham.co.jp/news/2014/20140121-2/  

 

カルビーのポテトチップス「牛肉とフォアグラのロッシーニ味」

これは2015年にカルビーが限定発売したポテトチップス「俺のフレンチ・イタリアン、牛肉とフォアグラのロッシーニ味」です。カルビーのサイトによれば、コンビニ限定、3月23日発売開始、5月上旬に販売終了予定。インパクトのあるロッシーニ風フィレステーキの写真が袋にあり、食欲をそそられます。一袋100グラムで555kcal、価格はオープン。

筆者は税込204円で見つけ、爆買いしましたが、なかなかいい「ロッシーニ味」でした。 

商品情報はこちら→ https://www.calbee.co.jp/newsrelease/150318.php 

モランボンの「トリュフ香るステーキソース ロッシーニ風の味わい」

2021年に新発売されたモランボンのロッシーニ風ステーキソースです。赤ワインとバルサミコ酢をベースに、芳醇なトリュフの風味を効かせた、なめらかな舌触りの濃厚ソースで「ロッシーニ風」の味わいをお楽しみください、と宣伝されています。

宣伝サイトはこちら→  https://www.moranbong.co.jp/products/detail/4423.html

おすすめレシピはこちら→ https://www.moranbong.co.jp/recipe/search/?flag=2&blog_id=3&target=3&item=%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%95%E9%A6%99%E3%82%8B%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%2090g&query=ID6560 

 

 

関連する文章と補遺

旧著『ロッシーニと料理』を出版後さまざまな媒体にロッシーニとその美食について寄稿しましたが、『美食家ロッシーニ』が決定版となりますので特設サイトへの再掲載を控え、ここでは同書に未掲載の論考、ロッシーニ書簡などを随時補完し、末尾に1993年10月6日付『日本経済新聞』文化欄掲載の拙稿を転載します

なお、日本のレストランで供されるロッシーニ風料理とお取り寄せについては後日、「食べるロッシーニ」のサイトで紹介します(準備中)。 

 

「トゥルヌド・ロッシーニの謎」 水谷彰良 

(日本ロッシーニ協会紀要『ロッシニアーナ』第43号掲載の論考)

 

『美食家ロッシーニ』には過去30年間の調査で明らかになった情報を網羅し、レシピと逸話の起源とその真偽も解明しましたが、ロッシーニ料理の代表とも言うべき「トゥルヌド・ロッシーニ Tournedos Rossini」についてはロッシーニの生前にその料理名を発見できず、ロッシーニ自身の考案であるか否かも含めて現在も謎に包まれています。

これまでの調査で知りえた内容や諸問題を明らかにすべく執筆したのが「トゥルヌド・ロッシーニの謎」です (2023年12月発行の日本ロッシーニ協会紀要『ロッシニアーナ』第43号所収)。そこでは「トゥルヌド」の語が18世紀末まで牛肉の部位や料理名として一切使われないことから話を始め、19世紀前半に料理名として用例があるもののトゥルヌドのレシピは1860年代前半に初めて現れたこと、「ロッシーニ風トゥルヌド」の名称はさらに時代を下って1879年、今日知られるレシピの原型も1886年の新聞に初めて現れたことを明らかにしました。

この問題は複雑でいまなお解けぬ謎が多いことから『美食家ロッシーニ』とは別に、ここに掲載する「トゥルヌド・ロッシーニの謎」を書きました「トゥルヌド・ロッシーニの謎」をクリックしてください(『ロッシニアーナ』第43号、pp.23-31のPDF版。原文の不備を一部修正) 

 

補遺 ロッシーニ書簡の追加

 

1860年8月29日付のガエターノ・ブラーガ宛の手紙に「次の土曜日[註:9月1日に該当する]、二つのマカロニ料理を食べに6時15分に拙宅にお出でください」と書かれています。

(出典:Reto Müller, Rossini “Comprimario”  in  Quaderni dell'Istituto Liszt volume 20, Libreria Musicale Italiana,   Lucca, 2020. p.70. 書簡のファクシミリ複製は同書p.82に掲載) 

 

美食家ロッシーニを求めて(エッセイ、1993年) 水谷 彰良 

 初出は 1993年10月6日付『日本経済新聞』文化欄。「失意のオタマジャクシ料理人」と題して掲載。

 

 1992年1月、私は霧に煙るモデナの町を、凍えながらあてもなく彷徨っていた。《セビーリャの理髪師》《ウィリアム・テル(ギヨーム・テル)》で有名なイタリアのオペラ作曲家ロッシーニ(1792~1868)がパリから注文していたソーセージ屋の末裔を探してのことである。事前にボローニャの友人から「とっくに廃業し、跡形もない」と知らされてはいたが、自分の目で確かめねば気が済まなかったのだ。

 その旅はまた、ロッシーニの好物だった食品や料理を食べ歩く旅でもあった。ミラノのパネットーネ、アスコリ・ピチェーノのオリーヴ、ピエモンテとウンブリア地方の白トリュフ、ゴルゴンゾーラ村のチーズ、ボローニャのトルテッリーニ、ナポリのマカロニ、モデナのザンポーネ(肉詰め豚足)とコテキーノ(調味した豚肉を豚の大腸に詰めたもの)……

 19世紀の文献や作曲家の書簡から嗜好のおおよそを判ったつもりでも、肝心の香りと味までは知り得ない。実際、現地で味わってみたものは、想像とはかけ離れていた。単なる塩漬けと考えていたアスコリのオリーヴは、種を抜いたオリーヴの穴にペースト状にした牛肉と豚肉と仔牛のレバーをパルメザン・チーズと卵、ナツメグ、シナモンで練って詰め、油で揚げるという手の込んだ料理だった。以前食べ、その油っこさに辟易していたザンポーネも、刻んだ玉葱やエシャロットに香草を入れたドレッシングと一緒に供され、もたれることはなかった。美味このうえないものがあるかと思えば、納豆を初めて食べた外国人の気分になったりと、愉快な舌の旅であった。

 何やらイタリア・グルメ紀行めいてしまったが、それもこれも稀代のグルマンとして料理史にその名を残すロッシーニの美食について調べるためなのである。オペラ作曲家として時代の頂点に立ちながら37歳で引退し、余生を美食に捧げたという伝説は事実なのか……もっとも、研究を言い訳に食道楽を満喫したのは私の方であったが。

 一年後、日本で放送されたバイエルン放送局制作の音楽ドキュメント『料理人ロッシーニ』を観て、同じテーマを探究する人物がいたことを知った。主人公は、ロッシーニが美食への愛から作曲の筆を折ったと証明して『料理人ロッシーニ』という本を書こうと野心を燃やす青年。だが、彼は最初に訪れた生誕の地ペーザロでロッシーニ研究の世界的権威フィリップ・ゴセット教授から、きつい言葉を頂戴する──「ロッシーニが食いしん坊だったのは事実だが、料理人など完全な虚像だ。証拠となる資料があるなら見せたまえ!」

 それもそのはず。ロッシーニが料理を創作した決定的な資料も、自筆のレシピ(調理法)も、これまでひとつとして発見されていないのだ。青年は作曲家の料理創作の証拠を求め、私同様、モデナ、ナポリ、更にはパリへと旅に出る。結果はどうだったか? さしたる資料も自筆レシピも発見できずに、彼は執筆を断念する──すべてを書けなければ無に等しい──と。

 お世辞にも出来がいいとは言えないこのドキュメンタリーの主人公の失敗は、「ロッシーニがオペラを捨てて料理人となった」という伝説を鵜呑みにし、レシピ発見という一点にこだわり過ぎたことにある。同じ頃、私はこれについてすべてを書けるという自信を深めていた。自筆レシピは存在せずとも、その不在を埋めるだけの資料(自筆メニュー、書簡、食料品店の請求書、同時代人の証言)によって、ロッシーニの生涯と美食との関わりを明らかにすることが、この問題の核心と考えたからである。以下簡単に、その一端を紹介してみよう。

 子供時代をソーセージの本場ボローニャで過ごしたロッシーニは、早くから美食の本能に目覚め、豚肉屋への憧れを抱いて育った。オペラ作曲家として成功を収めた彼は、たらふく食べて飲み、ベートーヴェンがびっくりするほど大きなお腹となってしまったが、それだけなら食いしん坊の作曲家でしかない。そこで終わらなかったのは、1820年代のパリに美食の黄金時代を築いた天才料理人との出会いがあったからである。大富豪ロスチャイルド家のシェフで「フランス料理を芸術に高めた天才」カレームとの交友が、彼を本物の美食家へと鍛えあげた。後にカレームは回想録の中でこの作曲家を、自己の料理芸術の最高の理解者と讃えている。

 ところが、ここからが伝説の違うところである。ロッシーニは美食三昧に耽りたくて作曲をやめたのではなく、七月革命で新作契約と終身年金を破棄され、失意のうちにオペラ作曲の筆を折るのである。引退してイタリアへ帰った彼にとって、美食は唯一の生きがいとなった。当時の愛人オランプは、手紙にこう記している──「(ロッシーニは)毎日色々な新しい料理の創作に余念がありません。そうです、マエストロと私は食べるために生きているのです」(1840年3月27日付)。「美食は、今の彼に残された唯一の喜びなのです」(1842年2月末)

 そこに暗い影がさしていることを見落としてはならない。美食が社会から見捨てられた人間の最後の拠り所となったとき、真の不幸は始まっていた。ロッシーニはいらだちと不安で過食に走り、絶えざる倦怠と肥満で様々な病気に見舞われたあげく、不眠と虚無感から味覚を喪失し、自殺願望に囚われるに至ったのである。

 そんな彼に精神の安定と平和が訪れるのは、再度パリに移住しての最後の10年間であった。作曲を再開し、毎週土曜日に私邸へ友人たちを招いて御馳走をふるまい、新作の歌曲やピアノ曲を披露する夕べを始めるのである。そうした老いの手遊びの中から、160曲に及ぶ作品集《老いの過ち》と最後の傑作《小荘厳ミサ曲》が生み出された。

   みずから「老いの過ち」と呼んだ作品の中には、ロマンティックな挽き肉》バター》ソテ》四つの前菜》四つのデザート》と題された曲が含まれている。音楽と美食それぞれに注いだ愛情を作品として結晶させたとき、ロッシーニは作曲家として美食家としての生を統合し、真の安らぎを得ることができたのであった。

 かくして、美食家ロッシーニを探る私の旅も終わりを告げた。悲しいことに、このほど上梓した『ロッシーニと料理』の原稿を出版社へ届けたその日、歌に生き食を愛した友竹正則さんが亡くなられた。最初の読者となる約束をして頂いたのに、一枚もお見せできずに終わってしまったことが、今も悔やまれてならない。

 

 付記 このエッセイは1993年10月6日付『日本経済新聞』の文化欄に「失意のオタマジャクシ料理人」と題して掲載。

    日本ロッシーニ協会ホームページへの再録に当たり、固有名詞と表記を一部変更しました。