見るサリエーリ

サリエーリとその時代を図像で楽しむページです。

 

 

マテリアルで綴るサリエーリの生涯(平林敏彦)

左から、p.1、p.2、p.14、p.19.

ロッシーニ協会の仲間、平林敏彦さんによる労作です!

こちらをクリックしてご覧ください→ マテリアルで綴るサリエーリの生涯

【平林敏彦:日本ロッシーニ協会会員。(公財) JPS音楽切手研究会会員。ペーザロ:音楽切手・コイン部会会員、トレヴィーゾ:音楽切手サークル “IL PODIO” 会員。 著書:『音楽・切手の366日』(薬事日報社、2006年)】

 

 

サリエーリの肖像(世界の所蔵館より)

銅版画やリトグラフによるサリエーリの肖像画は世界の音楽図書館に所蔵されており、筆者も1点所蔵しています(下記)。これとは別に、油彩の肖像画や19世紀に写真版で複製された肖像も存在します。ここには所蔵館のデジタル複製から、肖像部分を中心に周囲をトリミングして掲載します。(水谷彰良)

 

左から「ヨハン・ゴットフリート・シェフナー(Johann Gottfried Scheffner,1765-1825)による銅版画、1800年頃。フランス国立図書館」「カール・フリードリヒ・リーデル(Carl Friedrich Riedel, ?-?)による銅版画、1802年。フランス国立図書館」「フランツ・エーメとミュラー(Franz Oehme & Müller)によるリトグラフ、1810年。フランス国立図書館」「ハインリヒ・エドゥアルド・フォン・ヴィンター(Heinrich Eduard von Winter,1788-1825)によるリトグラフ、1815年。フランス国立図書館」

 

左から「ヴィーンのシュタイナー社による銅版画、1819年。ニューヨーク公共図書館」「フリードリヒ・レーベルク(Friedrich Rehberg,1758-1835)によるリトグラフ、1821年。フランス国立図書館」「作者不明のリトグラフ。ニューヨーク公共図書館」「作者不明のリトグラフ。オーストリア国立図書館。左の肖像と同じに見えるが、明らかに目の部分の印象が異なる」

 

「作者不明の鋼版画(これはニューヨーク公共図書館がサリエーリの肖像として所蔵するが、疑問の余地あり)」「サリエーリのシルエット、オーストリア国立図書館」「E.Haderによる肖像のキャビネット・カード、1882年。ヴィーン劇場博物館」「リーデルによる銅版画(上記)への彩色。ライプツィヒ、1802年。ニューヨーク公共図書館」

 

左から「ヨーゼフ・ヴィリブロルド・メーラー(Joseph Willibrord Mähler,1778-1860)による油彩、ヴィーン楽友協会。Wikimediaより」「油彩の肖像画、レニャーゴのフィオローニ財団博物館。Comune di Legnago のフェイスブックより」

 

 

サリエーリとその周辺(水谷彰良コレクションより)

筆者コレクションから、関連図版を随時追加して掲載します(水谷彰良)

 

左「ヨーゼフ2世の肖像。ルイ16世の宮廷画家ジョゼフ・デュクルー(Joseph Ducreux,1735-1802)が1771年に描いた肖像画を基にルイ=ジャック・カトラン(Louis Jacques Cathelin,1738/39-1804)が彫版した腐食銅版画。パリ、1771年」

中「サリエーリの肖像。ハインリヒ・エドゥアルド・フォン・ヴィンター(Heinrich Eduard von Winter,1788-1825)によるリトグラフ、1815年」

右「グルックの肖像。J.S.デュプレシスが描いた1790年の肖像に基づくシモン=シャルル・ミジェール(Simon-Charles Miger,1736-1820)の銅版画(A.Durandによるヘリオグラヴュール、1860年代)」

 

左上から:「レーオポルト・モーツァルト、7歳のモーツァルトと姉ナンネル。カルモンテルの水彩画を原画とする銅版画 (A.Durandによるヘリオグラヴュール、1860年代)」「7歳のモーツァルト (W.ピノックによる腐食銅版画。ロンドン、1823年4月)」「モーツァルトの肖像 (同前、1823年3月)」「ハイドンの肖像 (同前、1823年2月)」「ベートーヴェンの肖像 (同前、1823年10月)」「シューベルトの肖像。シャルル=アルフォンス・ドブロワ (Charles-Alphonse Deblois,1822-?) による銅版画、1867年」「フンメルの肖像 (W.ピノックによる腐食銅版画。ロンドン、1824年2月)」「「1822年ヴィーンで描かれた原画に基づくロッシーニの肖像。リトグラフ、パリ、1823年頃」

 

左から「シカネーダー邸でのモーツァルト歓迎宴会 (筆者所蔵は1879年の新聞に掲載された木版画。人物は左から、ハイドン、アルブレヒツベルガー、モーツァルト、サリエーリ、カヴァリエーリ夫人、シカネーダー、ランゲ夫人、グルック)」「歌劇《ダナオスの娘たち》1817年パリ・オペラ座再演の印刷台本」「ボーマルシェの肖像 (彩色。パリ、1876年)」「歌劇《タラール》のカルピージ (彩色。パリ、1876年)」「B. ドラローシュ (B.Delaroche,?-?.による《タラール》の舞台想像図。リトグラフ、1880年頃)」

 

 

生誕の地レニャーゴ(筆者撮影の写真)

サリエーリは、北イタリアのヴェローナとロヴィーゴの中間に位置する小都市レニャーゴ(Legnago)で生まれました。現在はヴェネト州ヴェローナ県に属し、79平方キロメートルに25,000余の住民が生活しています。第二次世界大戦の爆撃で町の大半が破壊されたため、1750年8月18日の誕生から15歳まで生活した当時の旧市街の建造物で現存するのは、中世城塞の廃墟の上に16世紀に建てられた要塞のみといわれます。以下は筆者が2000年に撮影した写真より。 

 

左から「レニャーゴ駅のホーム」「レニャーゴの教区教会」「サン・マルティーノ広場の噴水」「中世の城塞跡に建てられた要塞」「要塞の入口」

 

左から「レニャーゴの大聖堂(サン・マルティーノ)」「戦没者のためのモニュメント」「サリエーリの生家があった場所の建物」「生家跡の前の筆者」「同、プレート部分」

 

左から「テアトロ・サリエーリに向かう通りの筆者」「テアトロ・サリエーリ」「同 正面」「劇場前のサリエーリの胸像」「第1回サリエーリ・フェスティヴァルの垂れ幕(2000年)」

 

 

ヴィーンのサリエーリ(筆者撮影の写真)

14歳で母、15歳で父を亡くしたサリエーリは、ガスマンによって16歳の誕生日の2か月前にヴィーンに連れて来られ、以後亡くなるまでの大半をこの地で暮らしました。ゆかりのある建物や施設の写真はモーツァルトやベートーヴェンの文献でも扱われますので、ここには筆者撮影の写真から、サリエーリの名を冠したレストランも含めてチョイスします。

 

左から「アン・デア・ヴィーン劇場の正面」「アン・デア・ヴィーン劇場の建物」「同劇場の前の路上に埋め込まれたサリエーリのプレート」「ヴィーン楽友協会」

 

左から「中央墓地のサリエーリの墓」「ホーフブルク宮殿 (旧・皇宮宮殿)」「ヴィーン国立歌劇場」「現在のブルク劇場 (サリエーリ時代とは異なる建物」

 

左から「ブルク庭園のモーツァルト記念碑」「ベートーヴェンの銅像 (1880年設置)」「シューベルトが1808年から1813年まで通った学校の場所を示すプレート」「ザイラーシュトラッセ17番のレストラン《サリエーリ》」「レストラン《サリエーリ》の看板」

 

 

イタリアのサリエーリ(筆者撮影の写真など)

ヴィーンでオペラ作曲家となったサリエーリは、1778年にミラーノのスカラ座で《見出されたエウローパ》を初演しました。続いてヴェネツィアのサン・モイゼ劇場で《やきもち焼きの学校》、ローマのヴァッレ劇場で《思いがけない出発》《羊飼いの貴婦人》、ミラーノのカノッビアーナ劇場で《護符》を初演、その足跡はナポリに及びましたが、祖国イタリアでの活動は1780年までの3年間で終わりを告げました。

 

左から「現在のミラーノのスカラ座 (30カ月の修復を経て2004年12月7日にサリエーリ《見出されたエウローパ》で再開場)」「スカラ座の内部」「ヴェネツィアのサン・モイゼ劇場に面した小広場 (劇場は現存せず)」「サン・モイゼ劇場があった建物の記念プレート」

 

「ヴェネツィアのサン・マルコ広場」「ヴェネツィアのフェニーチェ劇場 (再建後の建物)」「2000年ヴェローナで発売されたサリエーリ生誕250年記念ワイン」「同左のラベル」(筆者コレクション)

 

   以下、写真とキャプションを随時追加していきます。