特設:ドニゼッティ《ランメルモールのルチーア》
ドニゼッティの作品解説と資料を掲載する特設頁の第2弾です。この頁には悲劇的歌劇の名作《ランメルモールのルチーア》(1835年ナポリ初演) の作品解説と楽譜資料を推薦盤と共に掲載します。2026年6月18日に日比谷オペラ塾で行った講座の配布テキストを改訂し、関連する文章と図版を追加しました。末尾に「ロマン派のオペラと狂乱の場の美学」と題した論考も掲載しています。 (2026年6月26日公開。執筆&文責:水谷彰良)
《ランメルモールのルチーア》自筆譜の表紙、ルチーアのカヴァティーナと狂乱の場の初版楽譜、
全曲ヴォーカルスコアの表紙、、プロンプターのためのパート譜。詳細は下記参照
ドニゼッティ《ランメルモールのルチーア》作品解説 水谷 彰良
題名 ランメルモールのルチーア Lucia di Lammermoor
劇区分 2部と3幕からなる悲劇的ドラマ(dramma tragico in due parti e tre atti)
註:これは台本作家による区分。全集版では「3幕の悲劇的ドラマ(dramma tragico in tre atti)となる。
台本 サルヴァドーレ・カンマラーノ(Salvadore Cammarano, 1801-1852)
原作 ウォルター・スコット(Walter Scott, 1771-1832)の小説『ラマムーアの花嫁(The Bride of Lammermoor)』
(1819年エディンバラ刊)
作曲 ガエターノ・ドニゼッティ(Gaetano Donizetti, 1797-1848)
初演 1835年9月26日 ナポリ、サン・カルロ劇場(Teatro di San Carlo)
登場人物 註:役名と順序は台本に準拠(全集版もこれを踏襲)。
エンリーコ・アシュトン卿 Lord Enrico Asthon[註](バリトン)……ランメルモールの領主。ルチーアの兄
註:スコットの原作がイタリア語訳された際に「Ashton(アシュトン)」を「Asthon」と綴りを誤った。批判校訂版は Asthonの
hを無視して「アストン」と発音するよう推奨するが、この解説では「アシュトン」とする。
ルチーア嬢 Miss Lucia(ソプラノ)……エンリーコの妹 註:解説ではMissを無視して単にルチーアとする。
レイヴンズウッドのサー・エドガルド Sir Edogardo di Ravenswood(テノール)……レイヴンズウッド家の当
主。ルチーアの恋人 註:解説では単にエドガルドとする。
アルトゥーロ・バックロウ卿 Lord Arturo Bucklaw(テノール)……ルチーアの政略結婚の相手
註:解説では単にアルトゥーロとする。
ライモンド・ビデベント Raimondo Bidebent(バス)……ルチーアの教育係 註:解説では単にライモンドとする。
アリーザ Alisa(メッゾソプラノ)……ルチーアの侍女
註:アリーサとする対訳もあるが(例、坂本鉄男の対訳本[音楽之友社])、通常のイタリア発音のアリーザとする。
ノルマンノ Normanno(テノール)……エンリーコの家臣
註:台本ではArmigeri di Ravenswood(レイヴンズウッドの隊長)とされるが、判りにくいのでエンリーコの家臣とする。
ほかに、貴婦人、騎士、アシュトンの親族、ランメルモールの住人たちの合唱。小姓、兵士、アシュトンの召使
たち
時と場所 17世紀末スコットランドのレイヴンズウッド[註]
註:過去の日本語解説では「レーヴェンスウッド」と表記されたが、地名 Ravenswood の英語発音に沿って「レイヴンズウッド」
とする。ネット上に散見される「レイベンズウッド」は不適切。なお、坂本鉄男の対訳本はイタリア語読みの「ラヴェンスウ
ッド」。なお、地名 Lammermoor を「ランメルモール」とするのはイタリア語読みで、現地発音は「ランメルムール」。
あらすじ早わかり
17世紀のスコットランド、レイヴンズウッド。ランメルモールの領主エンリーコ・アシュトン卿は、妹ルチーアをアルトゥーロ・バックロウ卿と政略結婚させようと企てる。だがルチーアが一族の敵レイヴンズウッド家の当主エドガルドと恋仲であると知ったエンリーコは、偽手紙を使ってルチーアにエドガルドの不実を信じさせ、アルトゥーロとの結婚契約書に署名させてしまう。エドガルドから裏切りを責められたルチーアは理性を失い、新婚の床で夫を刺し殺し、狂乱の果てに息絶える。ルチーアの死を知ったエドガルドも絶望し、みずから命を絶つ。
解説
ガエターノ・ドニゼッティ(Gaetano Donizetti, 1797-1848)は、生涯に未完も含めて約70のオペラを作曲した。ベルガモの貧しい家庭に生まれ、同地の慈善音楽学校でシモーネ・マイールに師事した彼は、19歳で作曲した《ボルゴーニャのエンリーコ》で職業オペラ作曲家となり、1822年初演の《グラナダのゾライダ》で最初の成功を得たが、時代の寵児ロッシーニの人気に押されて芽が出ず、30歳になるまでナポリの地域作曲家にとどまった。転機はパリに移住したロッシーニが《ギヨーム・テル》(1829年)を最後にオペラの筆を折った後に訪れる。1830年12月26日にミラノのカルカノ劇場で初演した《アンナ・ボレーナ》の大成功により、ドニゼッティの名はイタリア全土に轟くのである。《ルクレツィア・ボルジア》(1833年)の成功により、悲劇作曲家としての名声を確固たるものとした。
《ランメルモールのルチーア》が誕生する発端は、1834年11月9日にドニゼッティがナポリ王立劇場の経営陣と契約を結んだことにあった。これは同年秋にサン・カルロ劇場で《マリア・ストゥアルダ》が上演禁止になったことを受けての契約で、サン・カルロ劇場のための新作は当初1835年7月とされたが、劇場側は5月になっても題材と台本作家を指定しなかった。それゆえドニゼッティはみずからウォルター・スコットの小説『ラマムーアの花嫁(The Bride of Lammermoor)』を選び、台本作家を新人サルヴァドーレ・カンマラーノとするよう劇場側に求めた(関連書簡は友人ルイージ・スパーダノ・デル・ボッシュ宛の5月18日付と劇場協会宛5月29日付)。
ウォルター・スコット(Walter Scott, 1771-1832)は1771年スコットランドのエディンバラに生まれた作家で、小説『ラマムーアの花嫁』(1819年刊)は1669年にスコットランド貴族ジェイムズ・ダーリンプルの館で起きた事件──恋人との仲を両親に裂かれ、意に沿わぬ相手との結婚を強いられた娘ジャネットが婚礼の日に花婿を刺して錯乱し、ほどなく世を去った──に基づいて書かれた。その際スコットは時代を18世紀初頭に移し、登場人物と物語を次のように設定した──対立するレイヴンズウッド家エドガーと結婚の約束をしたアシュトン家ルーシーは、虚栄心の強い母レディ・アシュトンの陰謀でバックロー卿との婚約を強いられる。ルーシーは結婚祝いの席で新夫を刺すと発狂して死に、ルーシーの兄に決闘を挑まれたエドガーも約束の場所に向かう途中、ケンピースフロウの流砂に巻き込まれ行方不明となる。ルーシーに刺されたバックロー卿は一命をとりとめ、その後外国で暮らした。
この小説を原作とするオペラは、ジュゼッペ・バロッキ台本/ミケーレ・カラーファ作曲《ランメルモールの結婚(Le nozze di Lammermoor)》(1829年パリ初演)、カリスト・バッシ台本/ルイージ・リエスキ作曲《ランメルモールの婚約者(La fidanzata di Lammermoor)》(1831年トリエステ初演)、ピエートロ・ベルトラーメ台本/アルベルト・マッズカート作曲《ランメルモールの婚約者(La fidanzata di Lammermoor)》(1834年パドヴァ初演)が作られていたが、台本作家カンマラーノは1824年にミラノで出版されたスコット原作のイタリア語版『ランメルモールの許嫁(La promessa sposa di Lammermoor)』(ガエターノ・バルビエーリ訳)を脚色し、政治的背景を除去して登場人物を7人に絞り、ルチーア、その兄エンリーコ、エドガルドの3人の確執を軸に、ルチーア狂乱の場とエドガルドの自死をクライマックスとするドラマに再構成した(カンマラーノは当初『ルチーア・アシュトン』と題した梗概を作成したが、ドニゼッティが満足せず、5月25日までに《ランメルモールのルチーア》の梗概がまとめられた)。
ロメオとジュリエットにも似たこの悲恋物語に魅せられたドニゼッティは、一気呵成に作曲の筆を進めた。自筆譜の最終頁に書かれた「7月6日」の日付は、カンマラーノを台本作家に指定した前記書簡から38日しか経っていない。傑作とは、しばしば霊感の赴くまま短期間に生み出されるのである。
サン・カルロ劇場の経営危機が原因で上演は先送りとされたが、1835年9月26日に行われた初演は大成功を収めた。ルチーアを歌ったファンニ・タッキナルディ=ペルシアーニ(Fanny Tacchinardi-Persiani, 1812-1867)は当時22歳の若さながら英才教育によって完璧な技巧を身につけたソプラノ、エドガルド役のジルベール・デュプレ(Gilbert-Louis Duprez, 1806-1896)は力強い発声で高音を歌うテノーレ・ディ・フォルツァの先駆者として歴史に名を残すテノール、エンリーコ・アシュトン役のドメーニコ・コッセッリ(Domenico Cosselli, 1801-1855)はロッシーニ歌手として活躍し、ドニゼッティ《オリーヴォとパスクワーレ》(1827年)のオリーヴォ、《パリジーナ》(1833年)のアッツォ役を創唱したバス=バリトンである。ルチーアの華麗なコロラトゥーラと表現力はタッキナルディ=ペルシアーニ、エドガルドの激情の爆発と最終場の悲劇的演唱はデュプレの卓越した才能を前提にしたもので、台本、音楽、歌手の三拍子が揃ってはじめてこのオペラは名作たりえたと言っても間違いではない。
白眉は狂乱の場。新郎を殺害して発狂したルチーアはエドガルドの幻に呼びかけ、亡霊に怯えて発作的に高揚し、天上での結婚を幻視するのだ。20分に及ぶこの長大なシーンは、ベルカントの粋を凝らした華麗な声楽技巧を基盤に、音楽的にも演劇的にも高い完成度を誇っている。19世紀の観客は狂乱の場に満足して劇場を後にしたといわれ、事実ここで幕を下ろして終わりとする上演も行われたが、現在は締め括りの墓地の場におけるロマン的抒情と悲劇性も高く評価される。ルチーアとエドガルドのデリケートな感受性を浮き彫りにする劇の運びも再評価されており、乙女の亡霊を見たと話す最初のシーンですでにルチーアが狂気に取り憑かれ、兄の抑圧を逃れるには死しかない、との強迫観念が彼女を精神錯乱に追いやったとする解釈もなされる。狂乱の場の音楽にはそれ以前に使われた旋律がデフォルメされて現れ、ドニゼッティはその伴奏をグラスハーモニカとしたが、稽古中のトラブルが原因でフルート独奏に置き換えられた。
その後《ランメルモールのルチーア》は、1837年12月12日パリのイタリア劇場でも上演された。その成功を受けてドニゼッティはパリ・オペラ座(王立音楽アカデミー劇場)の求めで1838年10月にパリを訪問したが、協議が難航する間に民間経営のルネサンス劇場からフランス語版の作成を依頼された。かくして台本作家アルフォンス・ロワイエとギュスターヴ・ヴァエズの翻案による《ランメルモールのリュシー(Lucie de Lammermoor)》が誕生し、1839年8月6日にルネサンス劇場で初演され、大成功を収めた。これは単なるフランス語版ではなく、登場人物を7人から6人に減らしてドラマを簡略化し、侍女アリーザと家臣ノルマンノを統合してリュシーを陥れる悪人ジルベールを造形するなど作劇上の変更も多く、イタリア語版とは別作品と位置付けられる(フランス語版《リュシー》の特色は、ジャック・シャルモーが2000年に完成した校訂版を用いた2023年12月ベルガモのドニゼッティ音楽祭の上演映像の筆者解説を参照されたい。Dynamic NYDX-50368 国内仕様盤)。
ロマン主義の精華と見なされた《ランメルモールのルチーア》は、時代を下るうちに第三者の手が加わり、ルチーアのカヴァティーナ(N.2)、エンリーコとルチーアの二重唱(N.4)、狂乱の場(N.8)が半音もしくは一音低く移調されたエディションで流布し、現在もこのヴァージョンによる演奏が定着している。それでも作品の生命は損なわれず、マリア・カラス後の歴代の名歌手によって演じられたルチーアは、この悲劇の核心をなす魂の叫びを観客の心に深く刻み込むものとなっている。
なお、20世紀の演奏で広く歌われた狂乱の場のフルート独奏との掛け合いカデンツァは、1880年代後半に声楽教師マティルデ・マルケージが弟子の名歌手ネリー・メルバのために作曲したものと推測されている。21世紀にはグラスハーモニカを用いる上演が増え、カデンツァにフルートとの掛け合いを採用しない歌手も現れている(例:ナタリー・ドゥセ)。2021年に出版されたロジャー・パーカー(Roger Parker)編の批判校訂版(リコルディ版)が、現在と未来の演奏と上演における出発点である。
見どころ&聴きどころ 楽曲ナンバー(N.1~9)は自筆楽譜と批判校訂版(2021年)に準拠。
前奏曲 Preludio
冒頭のティンパニ連打、陰鬱な木管楽器の響き、管弦楽の切迫した総奏で悲劇を暗示する33小節の序奏。
【第1幕】 註:台本上は「旅立ち(La partenza)」と題した第1部で全1幕(Atto unico)。
N.1 導入曲(ノルマンノ、エンリーコ、ライモンド、男声合唱)
レイヴンズウッド城の庭園。ノルマンノの指図で住民たちが見知らぬ男の姿を探している(合唱「近くの海辺を駆け回れ Percorrere le spiagge vicine」)。ルチーアが結婚を拒むのはエドガルドを愛しているからだ、とノルマンノから教えられたエンリーコは、激高して復讐を誓う(「残酷で冷酷な激情を Cruda, funesta smania」)。
N.2 ルチーアのカヴァティーナ(ルチーア、アリーザ)
ハープの独奏に導かれてルチーアがアリーザと共に登場し、かつてレイヴンズウッド家の男に刺されて死んだ乙女の亡霊が自分の前に現れ、何かを告げようとしたと話し(「あたりは沈黙に包まれ Regnava nel silenzio」)、続いてエドガルドへの思いを華麗に歌い上げる(カバレッタ「激しい情熱に心を奪われたとき Quando, rapito in estasi」)。
N.3 シェーナと二重唱フィナーレ(アリーザ、ルチーア、エドガルド)
エドガルドが来て、外交使節として明朝フランスに旅立つことになったので、エンリーコと和解して結婚を認めてもらうつもりだと話す。だが、ルチーアは兄が許すはずがないと反対する。エドガルドは父を殺したエンリーコに復讐する誓いをたてたことを思い出すが(「裏切られた父の眠る墓の上で Sulla tomba che rinserra」)、気を取り直してルチーアと指輪を交換し、永遠の愛を誓う(「そよ風に乗ってあなたに届くでしょう Verranno a te sull’aure」)。
【第2幕】 註:台本上は「結婚契約(Il contratto nuziale)」と題した第2部(Parte seconda)の第1幕(Atto primo)。
N.4 エンリーコとルチーアの二重唱(ルチーア、ノルマンノ、エンリーコ)
城内のエンリーコの部屋。ノルマンノはルチーアの態度を心配するエンリーコに対し、エドガルドの手紙を奪って偽手紙を用意したと話す。悲しげなオーボエの前奏に導かれてルチーアが現れ、苦しみを訴えて兄を非難する(「不吉で恐ろしい蒼白さが Il pallor funesto, orrendo」)。エンリーコから渡された[偽の]手紙を読んだ彼女は、エドガルドの心変わりに絶望する。祝宴の音楽で花婿の到着を知ったエンリーコは、情に訴えて説得を試みて拒絶されると脅しに転じ、ルチーアは自分の死を願う(「もしもお前がわしを裏切れば Se tradirmi tu potrai」)。
N.5 シェーナとライモンドのアリア(ルチーア、ライモンド)
家庭教師ライモンドはルチーアにエドガルドの不実を話し、亡くなった母のためにも兄の求める結婚を受け入れるよう説得する(「ああ、諦めなさい。さもないともっと大きな不幸が Ah! cedi, o più sciagure」)。
N.6 第2幕フィナーレ(全員と混声合唱)
祝宴準備の整った大広間。祝いの合唱が歌われ、花婿アルトゥーロが感謝の言葉を述べる。ルチーアがエンリーコに強いられて結婚契約に署名すると、突然エドガルドが乱入し、一触即発の緊張をはらんだ名高い六重唱となる(「このような瞬間に、誰が私の怒りを抑えられよう Chi mi frena in tal momento?」)。
ルチーアが結婚契約に署名したと知ったエドガルドは激怒し、彼女の指輪をもぎとって呪いの言葉を投げつける。興奮した全員による、激しく急速なアンサンブルで幕を下ろす(ストレッタ「出て行け、失せろ、燃え上がる怒りは Esci, fuggi, il furor che m’accende」)。
【第3幕】 註:台本上は第2部(Parte seconda)の第2幕(Atto secondo)。
N.7 エドガルドとエンリーコのシェーナと二重唱(エドガルド、エンリーコ)
レイヴンズウッドの塔の荒れ果てた広間。激烈な嵐の音楽で幕が開き、自分の運命を嘆くエドガルドの前にエンリーコが現れ、ルチーアが新婚の床入りをしていると言って挑発し、両者は墓地での決闘を約束する(「ここにまだ父の亡霊がQui del padre ancor respira」)。
N.8 合唱とルチーアのシェーナ(ルチーア、ノルマンノ、エンリーコ、ライモンド、混声合唱)
城内の大広間。婚礼祝いの華やかな雰囲気がライモンドの登場で一変し、ルチーアが新郎を殺したと知った人々が恐怖に駆られる。純白の衣装で死人のように蒼白い顔をしたルチーアが現れ、狂乱の場となる。妄想のうちにエドガルドに呼びかけた彼女は(「あの方の優しい声が Il dolce suono」)、亡霊の姿に怯え、天上でのエドガルドとの結婚を幻視して幸せにひたる(「香炉はくゆり Ardon gl’incensi」)。フルートのオブリガートを伴うカデンツァが挟まれ、人々は正気を失ったルチーアを哀れむが、死を予感した彼女は再びエドガルドに呼びかけてその場に崩れ落ちる(「苦い涙を注いでください Spargi d’amaro pianto」)。
─ ルチーアのシェーナの後のレチタティーヴォ(エンリーコ、ノルマンノ、ライモンド)
ライモンドがノルマンノを非難する。
N.9 最終シェーナ(エドガルド、ライモンド、男声合唱)
城外のレイヴンズウッド家の墓地。夜。嘆き悲しむエドガルドは死を望み、先祖の墓に呼びかける(「わが祖先の墓よ Tombe degli avi miei」)。ルチーアが理性を失ったと悲しむ合唱を聞き、ライモンドから彼女の死を告げられたエドガルドは天国で結ばれることを望んで自分の胸を短剣で刺し、息絶える(「神のもとに飛び立ったお前 Tu che a Dio spiegasti l’ali」)。
(水谷彰良 みずたに あきら)
付記:スコットの原作『ラマムーアの花嫁』
スコットの小説『ラマムーアの花嫁(The Bride of Lammermoor)』の邦訳は、学生時代の坪内逍遥が橘顕三の名義で『春風情話(しゅんぷうじょうわ)』と題して明治13年5月に出版したが、原書全35章のうち第2章から第5章の途中までの意訳で、オペラに描かれるエピソードが含まれない。だが、その挿絵に描かれたルシイ・アシュトンの姿はなんとも艶めかしい(右図)。
全訳はまだありませんが、『春風情話』は国立国会図書館デジタルコレクションで読みことができます→ https://dl.ndl.go.jp/pid/903866/1/1
研究的視点でのメモ(近年の研究で明らかになったこと)
・《ランメルモールのルチーア》の初版楽譜は1835年10月に出版されたナポリのジラール版で、同時期にリコルデ
ィ社も制作を開始した(共にピアノ伴奏のヴォーカルスコア。リコルディ社の完本は1837年に成立。当時は総譜が出版
されなかった。ちなみに稽古の際に歌手が使用した楽譜は印刷されたピアノ伴奏譜ではなく、「scannati」と呼ばれる声楽
パートに器楽の低音部を添えた手書き譜だった)。
・ジラール版ではN.2, 3, 4, 8が、リコルディ版ではN.2, 4, 8が低く移調されているが── N.2と3は半音低く、N.4と
8は一音低く移調── これはアマチュアの愛好家向けに行われた移調である。ドニゼッティはこうした移調楽譜の
出版を容認したが、上演における移調には断固反対していた(いうまでもなく、作品の調性構造やオーケストラの響
きが損なわれる)。にもかかわらず、ヴォーカルスコアの初版がその後のエディションの基になったので、多くの
作品が作曲家の意図に反する移調を含むヴァージョンで流布した。こうした問題も、自筆楽譜を再検討した批判
校訂版(クリティカル・エディション)によって明らかになったのである。それゆえ作曲家の意図どおりに上演する
には批判校訂版の使用が不可欠だが、作品によっては初演歌手の特殊性から原譜どおりの演奏が不可能な作品も
ある(例:ベッリーニ《夢遊病の女》)。
・自筆譜の最後のページには「7月6日」と記されているが、王立劇場の経営陣が破産寸前だったためすぐに上演で
きず、9月の稽古期間中にオペラの構成と内容に重要な変更が施されたことが現存資料から明らかで、ドニゼッ
ティは稽古中や初演後にも修正や変更を施した(N.2のカンタービレの4小節、N.7の管弦楽冒頭7小節、N.8ルチーア
登場前の合唱14小節、N.9カバレッタの2小節)。
・稽古中のカットで重要なのはドニゼッティが「アルモーニコ(Armonico)」と呼んだグラスハーモニカのパート
で、稽古中に削除してフルートに置き換えざるを得なかったことが分かる。その原因はフラーヴィア・ロンバル
ディ(Flavia Lombardi)の資料調査により、アルモーニコの奏者ドメーニコ・ペッツィ(Domenico Pezzi)が稽古
中に解雇されてサン・カルロ劇場の経営陣を相手に訴訟を起こす事件の影響と判明した。それゆえフルートの採
用はドニゼッティの意に沿わぬ実用的な選択であることから、批判校訂版ではグラスハーモニカの使用が前提に
されている(従来文献はドニゼッティの意思でフルートに置き換えたとしたが、その解釈は間違っていたことになる)。
・N.5ライモンドのアリアは自筆譜の研究により、後から追加されたことが分かった。ドニゼッティがそのカット
を容認したことは、アリア無しにフィナーレに続けるためのレチタティーヴォを作曲したことでも分かる(批判
校訂版の補遺に掲載)。それゆえ現在の上演でもN.5のカットが選択肢となる。
・初演後の再演では、ルチーア歌手が狂乱の場をドニゼッティ《ファウスタ》のアリアに差し替えた。より重要な
差し替えは1836年12月26日ヴェネツィア、アポッロ劇場の再演でタッキナルディ=ペルシアーニが行った第1幕
ルチーアのカヴァティーナの《イングランドのロズモンダ》ロズモンダのアリア「Perché non ho del vento」
への差し替えで、フランス語版《リュシー》にもこの差し替え曲が採用されている。
《ランメルモールのルチーア》の楽譜史料と推薦ディスク
《ランメルモールのルチーア》自筆譜の表紙、前奏曲の冒頭頁、狂乱の場の冒頭頁、有名なカデンツァのオリジナル
(ベルガモ、アンジェロ・マイ市⽴資料館所蔵)
リコルディ社による楽曲ピース初版(N.2 ルチーアのカヴァティーナ「あたりは沈黙に包まれRegnava nel silenzio」、
N.5 ライモンドのアリア「ああ! 諦めなさい Ah! cedi」、N.8「狂乱の場」、N.9「エドガルドのアリア・フィナーレ」)
(リコルディ社、ミラノ、1835年10月印刷。プレート番号 8987, 8990, 8995, 8996) 水谷彰良蔵
《ランメルモールのルチーア》全曲版の表紙、N.1「前奏曲と導入曲」とN.8「狂乱の場」の冒頭頁
(リコルディ社、ミラノ、1837年。プレート番号 10076-10094 欠落した頁あり)
ルチーアとアシュトン[エンリーコ]の二重唱のプロンプター用のパート譜 共に水谷彰良蔵
第1幕ルチーアの差し替えカヴァティーナ「Perchè non ho del vento」(タッキナルディ=ペルシアーニが再演で
採用した《イングランドのロズモンダ》ロズモンダのアリア。モリ&ラヴェヌ社、ロンドン、1837年) 水谷彰良蔵
ジョーン・サザーランドによる歴史的演奏をお聴きください。→ https://www.youtube.com/watch?v=43Hnv2P2hqU
推薦ディスク(上演映像)
傑作ゆえ上演映像も多く、レナータ・スコット、ジョーン・サザランドなど歴代の名歌手はもちろん、2000年以降に限っても、パトリツィア・チョーフィ、ステファーニア・ボンファデッリ、デジレ・ランカトーレ、マリエッラ・デヴィーアほか、数多くの上演映像がリリースされています。ここでは2009年METのネトレプコ、2016年ロイヤル・オペラのダムラウの市販映像を掲げ、2011年METのデセイの YouTube 動画も添付します。
ドニゼッティ:歌劇《ランメルモールのルチーア》 2016年4月ロンドン、ロイヤル・オペラ
演出:ケイティー・ミッチェル、指揮:ダニエル・オーレン、ロイヤル・オペラハウス管弦楽団、同合唱団、ルチーア:ディアナ・ダムラウ、エドガルド:チャールズ・カストロノーヴォ、エンリーコ:リュドヴィク・テジエ、ライモンド:クワンチュル・ユン、ほか
収録:2016年4月25日ロンドン Erato 9029579202 [BD], 9029579205 [DVD] 日本語字幕無し
※分割舞台を用いて劇中で描かれない出来事を同時進行で視覚化するミッチェル演出は、セックス
と暴力の描写でも物議を醸したが、ダムラウは歌唱芸術の極致なので日本語字幕無しでも必見!
筆者の感想は下の付記(2)をお読みください。
ドニゼッティ:歌劇《ランメルモールのルチーア》 2009年2月メトロポリタン歌劇場
演出:メアリー・ジマーマン、指揮:マルコ・アルミリアート、メトロポリタン歌劇場管弦楽団&同合唱団、ルチーア:アンナ・ネトレプコ、エドガルド:ピョートル・ベチャワ、エンリーコ:マリウシュ・クヴィエチェン、ライモンド:イルダール・アブドラザコフ、ほか
収録:2009年2月7日ニューヨーク DG/ユニバーサルミュージック UCBG-9306 (2DVD) 国内盤
※METライヴビューイングの上演映像。筆者の感想は下の付記(1)をお読みください。
個人的には同じMETの2011年プロダクションのナタリー・デセイ[ドゥセ]主演がお薦めですが、ソフトが市販されな
かったので、YouTubeにアップされた動画を添付します(指揮はパトリック・サマーズ、エドガルドはジョゼフ・カレヤ)。
付記(1):2009年2月METの上演映像について 水谷彰良
出産後のネトレプコのメット初出演に加え、相手役がビリャソンとあって前評判の高かった《ランメルモールのルチーア》。蓋を開けるとビリャソンが喉の不調で途中降板し、ベチャワが代役に。この映像は降板後の上演の収録で、METライブ・ビューイングで放映されたものと同じ。演出家ジマーマンは時代を19世紀ヴィクトリア朝に移し、女性衣装の古風なデザインと豊かな質感、落ち着きある重厚な舞台で魅了する。
第1幕(第1部)は単色の幻想的な森で、背後の黒雲が水墨画のタッチ。黒衣のルチアが歌うカヴァティーナには白衣の幽霊が登場する。歌詞にある亡霊だけでなく、ルチーアの内なる狂気をも示唆するのだろう(彼女はしばしば最初から狂気に憑かれていると解釈される)。ネトレプコの声はルチアには重く、ここでは音程も危しいけれど、くっきりとしたヴォーカルラインとパワーは彼女ならでは。第2幕(第2部第1幕)アシュトン卿の居間は布で覆った家具が寒々とした雰囲気を漂わせ、朗々たる声のクヴィエチェンとネトレプコの迫真のやりとりが続く。家具の覆いをライモンドのアリアで外し、短時間に結婚契約の広間に転じる手法も気が利いている。
第3幕(第2部第2幕)冒頭、塔の一室では下ろした中間幕の前でエンリーコとエドガルドの二重唱が歌われ、華やかな広間に転じると婚礼祝いの人々から逃げ出す花嫁衣裳のルチーアを垣間見せる。そして狂気を暗示する巨大な満月を背景に血しぶきを浴びたルチーアが現れ、アルモニカ(グラスハーモニカ)の演奏が始まる。そのゾクっとする音色は、いまや狂乱の場に不可欠といえる。ネトレプコは前半部で表情の誇張を控え、移ろう心象と幻影を声で彩り、フルートとの掛け合いでの見事な声のコントロールが感動を誘う。続く経過部で狂気の身振りが激しくなり、カバレッタ半ばで失神して注射を打たれるのであるが、眼を覚ました後の異常な表情と眼の輝きも見どころだ。
エドアルド役のベチャワは声の色とマスケラの共鳴不足を歌い方でカヴァーするタイプで、ぎこちなさが目立つものの、最後のアリアを立派に歌い、面目を保った。フィナーレではネトレプコ演じるルチーアの亡霊が現れ、エドガルドの自殺に手を貸し、彼のなきがらに接吻する。これには驚いたが、それはそれで納得できる解釈や見せ方ではなかろうか。
ライヴゆえ演奏に多少の傷がないわけではなく、カメラワークにも違和感があるけれど、総体的には大変素晴らしい上演の映像と思う。ナタリー・ドゥセによる出演者インタヴューも収録。
(『レコード芸術』 2010年1月号掲載の拙稿より。ルチアをルチーアに変更)
付記(2):2016年4月ロイヤル・オペラの上演映像について 水谷彰良
昨年(2016年)英国ロイヤル・オペラハウスでプレミエを迎えた、衝撃的なケイティー・ミッチェル演出《ランメルモールのルチーア》の上演映像が発売された。前年《ギヨーム・テル》で起きた騒動(11月号の当欄参照)の二の舞を避けるべく、「セックス&暴力シーンあり」と事前警告しての上演だが、想像を超えたスキャンダラスな舞台である。ミッチェルは女性演出家の視点で劇の構造を組み換え、時を19世紀ヴィクトリア朝に移し、ルチーアに40歳台の年齢を想定する。そんな女が恋人を得てセックスの悦びに目覚め、恋にのめり込む。彼女は意に沿わぬ結婚を強いた兄への復讐に夫を殺し、誇らしげな態度をとるが、突然流産して愛する人との絆を失い、錯乱の果てに浴槽の中で自死する……以上が演出コンセプトのおおよそである。
そもそもこの歌劇には、劇中で描かれない重要な出来事がある。新床での夫殺害はもちろん、狂乱したルチーアがなぜ、どのように死んだのかも不明なのだ。医学的には発狂が死に直結しないので、ルチアは親族に殺されたか自殺したかのどちらかなのだが……。ミッチェルはそうした描かれぬ事件を、分割舞台を用いて同時進行で視覚化する。劇は前奏曲から始まる。舞台の左半分は屋敷の中庭。天使の像にエドガルドが手紙を隠し、アリーザがそれを右半分の室内にいるルチーアに届ける間に死んだ乙女の亡霊が現れる。エドガルドとのセックス、夫の殺害、流産で下半身が血まみれになっての狂乱の場(伴奏にグラスハーモニカを使用)、浴室でのルチーアとエドガルドの死まで、一瞬も目を離せぬ再現ドラマが続く。
演劇として高水準の上演なら幾つもある。だがここでのダムラウ、カストロノーヴォ、テジエの表情と演技、心象表現は傑出している。歌も同様で、とりわけダムラウは歌唱芸術の極致、奇跡というべき高みにある。まさに歴史に残る名演だ。劇場では舞台の細部が見えず、死んだ女の亡霊の姿も判然としないはずだが、クローズアップの映像ならすべてクリヤー。凄惨な光景を正視できぬ人も多いだろうが、これを見ずしてルチーアは語れない。
(『レコード芸術』 2017年12月号掲載の拙稿より。ルチアをルチーアに変更)
ロマン派のオペラと狂乱の場の美学
次に掲載するのは2017年3月の新国立劇場『ルチア』プログラム原稿として同年1月18日に提出した文章です。実際のプログラムに掲載されたのは「ベルカントの特質と狂乱シーンの変遷」と題した差し替え原稿で、文章の三分の一に当たる前段部分がまったく違います。それゆえここに、筆者がみずからボツにした原稿「ロマン派のオペラと狂乱の場の美学」を初出として掲載します。 (2026年6月)
ロマン派のオペラと狂乱の場の美学 水谷 彰良
オペラにおける理性の逸脱
《ランメルモールのルチーア》の「狂乱の場(Scena della pazzia [伊]、Mad scene [英])」は、その特殊な設定にさまざまな解釈が可能であるが、ここではオペラにおける狂気の演劇・音楽的表現の前史から話を始めよう。
オペラの歴史を遡ると、その初期から狂気を装う女(サクラーティ作曲《偽狂女》1641年)や錯乱する男が登場している。狂乱の場の原型は1643年ヴェネツィア初演のカヴァッリ作曲《エジスト》にあり、その第3幕では愛する女の裏切りを知ったエジストが錯乱状態でモノローグを繰り広げる。中国から来た姫君アンジェリカに恋したオルランドが失恋の痛手で狂人となり、理不尽な暴力を繰り返すアリオストの叙事詩『狂えるオルランド』(1516年)に基づく作品も人気を博し、ヴィヴァルディ、ヘンデル、ハイドンら40人以上の作曲家が付曲している。
アリアは登場人物の情緒や感情(陽気、喜び、悲しみ、怒り、苦悩など)によって区別され、激しい興奮状態で歌われるそれは「譫妄のアリア(aria di delirio)」や「狂気のアリア(aria di pazzia)」と称された。狂乱シーンは亡霊や化け物の幻影に怯えるレチタティーヴォやアリオーソで構成され、理性の喪失は途切れ途切れの言葉、テンポや拍子の頻繁な変化により象徴的に表された。ヘンデル作曲《オルランド》(1733年)第2幕終盤のレチタティーヴォ〈ああ、地獄の妖怪め!〉が好例で、4拍子(4/4)と5拍子(5/8)を交互に用い、6拍子(6/8)を経て2拍子(2/2)と3拍子(3/4)のアリア「美しい瞳よ、泣かないでおくれ」で閉じられる。
けれども狂気は癒されるべき病と理解され、ヘンデル作品では魔術師ゾロアストロが登場して「みなオルランドから学ぶが良い。恋する者はしばしば理性を失うということを」「よく見ておくのだ、あの英雄の狂乱を。ほどなくわしは勝利して英雄に理性を回復させ、栄光に導くだろう」と述べ、オルランドに魔術的治療を施す。ハイドンの《騎士オルランド》(1782年)も同様に、魔女アルチーナが忘却の川の水をオルランドの額に注がせて理性を回復させ、「愛に忠誠を尽くせば誰もが幸せになれる」と合唱してハッピーエンドとなる。同時代には騎士道物語の妄想に捉われたドン・キホーテ(セルバンテスの同題の小説、1605/15年)を描くオペラも人気を博し、パイジエッロ作曲《ドン・キショッテ》(1769年)では巨人と誤認した主人公が風車に戦いを挑む。
こうした「狂った男」のふるまいは常に喜劇として享受されたが、自然な感情に目覚めた18世紀末になると、父に恋人との仲を裂かれ、愛する人の死を信じて心を病んだ少女を主人公とする作品が現れる。ダレラック作曲《ニーナ、または恋による錯乱》(1786年)とこれを下敷きにしたパイジエッロ作曲《ニーナ、または恋に狂った娘》(1789年)がそれで、お涙頂戴劇(コメディ・ラルモワイヤント)や感傷的オペラの先駆けとなった。その結果、夫の裏切りへの復讐にわが子を殺すギリシア悲劇のメデアに代表される「狂女」が過去のものとなり、清純で傷つきやすいヒロインが誕生するのである。
ロマン派の狂乱するヒロインとルチーア
1820年代にロマンティックな設定として浮上した夢遊病によるオペラはカラーファ作曲《夢遊病者》(1824年)が先鞭をつけ、ベッリーニ作曲《夢遊病の女》(1831年)により装飾的なベルカント唱法と女性の繊細な心理の高次の融合が果たされた。これとは別に、絶望にかられて狂乱するヒロインにも新たな光が当てられ、恋人が斬首される恐怖で錯乱するベッリーニ《海賊》(1827年)、無実の罪で処刑される恐怖で錯乱するドニゼッティ《アンナ・ボレーナ》(1830年)が現れた。
ロマンティックな女性の狂乱表現では、ベッリーニの《清教徒》(1835年)が先んじた。その第2幕ではアルトゥーロに捨てられたと誤解して気のふれたエルヴィーラが「髪を振り乱し、顔つき、眼差し、足取り、仕草のすべてで狂気を表して」登場し(台本のト書き)、アルトゥーロの幻影にとらわれてアリア「あなたの優しい声が」を歌う。だが、そのカンタービレは弧を描く美しい旋律が狂気を覆い隠し、カバレッタ「いらして、愛しい人」も歌の技巧を際立たせる音楽に終始する。ベッリーニ自身も認めたように、エルヴィーラはアミーナ(《夢遊病の女》)やニーナと同質の抒情的ヒロインなのである。
これに対し、8カ月後に初演されたドニゼッティ《ルチーア》では、よりリアルな狂乱の場が構想されている。ルチーアが新床で花婿を殺害して発狂したという尋常ならざる設定から、精神の崩壊が死に等しいと理解されたのである──「ルチーアは簡潔に、白い衣装を身につけている。髪を振り乱し、死者のように血の失せたその顔は、生きている人ではなく幽霊そっくりに見える。目つきは石のようにすわり、身体は痙攣し、不気味な微笑は恐ろしい狂気だけでなく、彼女の命が終わりに近づいていることを示している」(台本のト書き)。その伴奏に「精神に異常をきたす楽器」とされたグラスハーモニカを想定したドニゼッティは、デフォルメした回想の音楽を用いてルチーアの千々に乱れる胸の内を吐露させる。そしてエドガルドの幻に呼びかけた彼女は亡霊に怯え、発作的に高揚し、天上での結婚を幻視する。そこでは過剰な装飾と音の跳躍、半音階のパッセージ、転調、休符やカデンツァによる中断が内面の描写に使われる。かくして《ルチーア》はベルカント・オペラの頂点を極める傑作となり、ロマン派イタリア・オペラの原型となったのである。
変貌する狂乱の場と、ルチーアの悲劇性の復活
だが、台本作家カンマラーノとドニゼッティの霊感と豊かな想像力が、本作の解釈の多様性を導く要因となる。第1幕でレイヴンズウッド家の男に刺されて死んだ乙女の亡霊が自分を差し招き、泉の水が血で赤く染まったと話すルチーアは、すでに狂気と死の想念に取り憑かれているのではないか? ルチーアの発狂は結婚契約に署名してエドガルドから永遠の憎しみを誓われたことで生じたのか、それとも新床でアルトゥーロにレイプされたことが直接の引き金になったのではないか?
医学的には発狂が死に結びつかないので、ルチーアの死因も判然としない。狂死もまた、ロマンティックな想像力の産物なのだ。それゆえ狂乱の場を歌い終えたルチーアが周囲の男たちに暴力をふるわれながら退場し、殺人を犯した女に対する報復として殺されたと示唆する演出も現れた(リヨン国立歌劇場のフランス語版上演におけるコーリエ&ライザー演出)。
興味深いのは、初演から僅か25年ほどで《ルチーア》が時代の趣味に合わないことが明らかになり、狂乱の場で終わる上演が増えたことである。これはドニゼッティのオリジナルを歪める慣用版の流布(ルチーアのカヴァティーナや狂乱の場を半音もしくは1音低く移調したヴァージョン。他にも多くの異同がある)と、ベルカント歌手の払底でルチーア歌手がドラマティックなアジリタ(敏捷な唱法)を駆使するソプラノ・ダジリタから軽やかなソプラノ・レッジェーロに移行し、狂乱の場がコロラトゥーラをひけらかす一場となったことも関係する。16歳でルチーアを歌ってオペラ・デビューしたアデリーナ・パッティ(1843-1919)からリリー・ポンス(1898-1976)に至る名歌手の演奏がその証左で、有名なフルートとの掛け合いカデンツァもソプラノ・レッジェーロによって新たに導入された。その起源が1889年パリ・オペラ座でルチーアを歌うネリー・メルバ(1861-1931)のために著名な声楽教師マティルデ・マルケージが作曲して与えたものであることは、2004年に発表された論文[註1]により証明されたが、著者R.M.プリエーゼはこのカデンツァが世紀末に流行した暴力的なドラマやヒステリックなヒロインと共鳴し、狂乱の場の受容に決定的な変化をもたらしたという。
華麗なカデンツァが挿入された結果、《ルチーア》は「人気歌手の声の技術を披露させるために年1~2回リヴァイヴァルするプリマドンナ・オペラのレヴェルに引き下げられた」(ストリートフィルド『オペラ、その歴史的展開』1897年)。けれどもこれにより、「時代錯誤の馬鹿馬鹿しい狂乱の場」に新たな魅力が付与される。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場では1883年にマルツェラ・ゼンブリヒ(1858-1935)の主演で《ルチーア》が初上演され、パッティの1回公演を挟んで1893年12月からメルバの主演公演が始まった。そして1894年にレオンカヴァッロ《道化師》と第1幕をカットしたメルバ主演《ルチーア》が2本立てで上演されると、1896年には狂乱の場で終わるメルバ主演《ルチーア》とエンマ・カルヴェ主演《カヴァレリア・ルスティカーナ》の2本立て上演が始まったのである。メルバは1900年にプッチーニ《ラ・ボエーム》のMET初演でミミを演じた際にもアンコールにルチーア狂乱の場を歌って喝采を浴び、15回公演のうち8回を狂乱の場で締め括った。
ヴェリズモ・オペラの添え物となった狂乱の場が愉し気な歌に変換されたことは、多くの初期録音が証明する(トーティ・ダル・モンテによる1926年の録音は明るい狂乱の場の見本)。そんな歪んだ《ルチーア》像を根底から覆したのが、ドニゼッティ時代のソプラノ・ドランマーティコ・ダジリタの用法を蘇らせたマリア・カラス(1923-1977)である[註2]。ソプラノ・レッジェーロの声の曲芸としてのルチーアのイメージはカラスによって粉砕され、声による性格描写と強烈な劇的表出による痛ましくも凄絶な狂乱の場が復活したのだ。現代のルチーア歌唱が100年前とはまったく異なる次元にあるのも、カラスの出現と無縁ではない。
註1 Romana Margherita Pugliese, The Origins of "Lucia di Lammermoor's" Cadenza, Cambridge Opera Journal, Vol.16, No.1 (Mar
2004), pp. 23-42.
註2 1952年6月メキシコシティでルチーアを初役したカラスは、最後の舞台となる1959年ダラスまで8年間に16公演で46回演じ、
全曲録音もライヴを含めて8種ある。
(水谷彰良 みずたに あきら)