ヴェルディ研究(1)《リゴレット》と演奏慣習の諸問題

 

 日本におけるヴェルディ作品の演奏慣習やその歴史性に関する研究は、ヴェルディ没後100周年の2001年に日本ヴェルディ協会『VERDIANA』第3号(2001年12月31日発行)筆者が寄稿した「ヴェルディ作品の演奏解釈とその歴史性──作品、形式、歌唱の歴史的な同時代性と演奏実践の課題 」で先鞭をつけました。ここに特設ページを設け、その後筆者が発表した論考を掲載します。

 この頁には「ヴェルディ研究(1)」として、2018年9月29日にヴェルディ・プロジェクト・ジャパンが「ヴェルディ・オペラ全曲シリーズ Vol.1」と題して上演した《リゴレット》演奏会形式のプログラムに掲載された拙稿「ヴェルディ作品の演奏慣習とその諸問題」の元原稿を掲載します。

 近年日本では、中期までのヴェルディがベルカント歌手のためにオペラを書いたという言説が現れていますが、歌手と発声歌唱のあり方を歴史的に考究すれば、《ナブッコ[ナブコドノゾル]》が初演された1842年には「力み、叫ぶ」歌唱がイタリアを席巻し、ロッシーニも1844年にイタリアの観客が「良い歌唱法を評価できず、叫ぶ歌手を称賛する」と批判したことが分かるでしょう。「ヴェルディ研究(2)」と「ヴェルディ研究(3)」と共にお読みいただければ、《アッティラ》(1846年)までの作品に対する同時代の受け止め方や、ヴェルディが「喉を疲弊させる音楽で歌手と歌唱を駄目にしたオペラ作曲家」と批判されたことが分かるでしょう。ベルカントの定義や解釈もそうですが、日本の評論家が書くことと歴史的な事実は違うのです。

                         (2026年3月31日公開。文責:水谷彰良)

 

 公演の詳細は主催者のサイトをご覧ください → https://www.verdi-project-japan.com/verdi-series28/rigoletto/                                    

 

ヴェルディ作品の演奏慣習とその諸問題     水谷彰良

 

  オペラの上演や演奏に関して歴史様式を云々すると、「演奏にオーセンティシティ(真正性)は無い。あるのは良い演奏と悪い演奏だけだ」と反論される。それも一理あるが、良し悪しの基準は曖昧で、ひどい発声で叫ぶ歌手の歌に感動する聴衆も少なくない。それでも指揮者がベートーヴェンの《運命》や《第九》にカットを施し、音符や音楽の構成を勝手に変えたら誰もが間違った演奏と思うだろう。変更の理由が「変えた方が効果的」「原曲より客が喜ぶ」であればなおのこと、作品と作曲家に対する冒涜、傲慢にもほどがある、と批判されるのではないか?

 だが、ヴェルディのオペラはそんな演奏がまかり通り、これを批判する者が“原典主義者”のレッテルを貼られ、オペラ・ファンの敵とされてきた。《ラ・トラヴィアータ》その他の録音で従来のカットをしりぞけ、アリアの歌い終わりを楽譜どおりに歌わせたリッカルド・ムーティも、そんな批判に晒された指揮者の一人である。問題がどこにあるのか、《リゴレット》を例に考えてみよう。

 

《リゴレット》におけるカットとカデンツァの挿入

 ヴェルディ演奏における最大の問題、それが20世紀の上演や録音を通じて定着した演奏上の慣習である。これを伝統の名のもとに擁護する人もいるが、現実にはヴェルディの死後、その意図に反して第三者が改竄したヴァージョンや用法が無批判に受け継がれたにすぎない。本稿では、「カット」「カデンツァの挿入」「歌い終わりのアクート適用」の3点について私見を述べてみたい。[註]

  註 ヴェルディ作品の演奏解釈に関する筆者の見解の全容は、日本ロッシーニ協会ホームページ掲載の次の論文を参照いただきたい。

    ヴェルディ作品の演奏解釈とその歴史性──作品、形式、歌唱の歴史的な同時代性と演奏実践の課題 

    ヴェルディ歌唱と演奏スタイルの変遷──続・ヴェルディ作品の演奏解釈とその歴史性 

 

 《リゴレット》における顕著なカットは第2幕冒頭、公爵のアリアのカバレッタ「力強い愛の力が」である。歌手の黄金時代と呼ばれた20世紀半ば過ぎまでの上演と録音では、これがそっくりカットされているのだ。とはいえ中間部の合唱で終わり、リゴレットの登場に続けるのは音楽的にも演劇的にも無理があり、現在はカバレッタが歌われる。但し楽譜どおり2回歌われるのは稀で、経過部と反復部をカットして終結部に至る。歴史的な見地で言えば、楽譜どおりに歌うだけでは足らず、2回目にヴァリアツィオーネ(歌手による旋律の変奏)を適用すべきだろう。

 勝手なカデンツァの挿入は、第3幕公爵のカンツォーネ、通称〈女心の歌〉が好例である。そこでのカデンツァとアクートの延ばしが作曲者の意図に反するのは原譜を見れば明白で、一つの音を増強(クレシェンド)しながら延ばし、その極点から「con forza(力を込めて)」ひと息に歌い切るフレーズが書かれており、カデンツァを挿入する余地は無い[譜例1]。それがあるから公爵の好色で能天気な性格が表せる、との言い訳は認めがたい。

 

 

  譜例1   批判校訂版ピアノ伴奏譜より(以下同)

      ↑ 部分にデンツァが挿入される。

 このカンツォーネはその後二つのシェーナで再帰する。最初の、スパラフチーレの家の二階で鼻歌のように歌われるそれは「allargando e morendo(テンポを弛めながら、消え入るように)」と指示され、最後は「pensier」の「pen…」で中断して眠りにつく。もう一つのそれは死体袋を引きずるリゴレットの耳に遠くから聞こえる陰歌で、末尾6小節は「perdendosi a poco a poco in lontano(少しずつ遠くに声を弱めつつ)」アクートに立ち上げ、リゴレットを愕然とさせる。ヴェルディは最後の伴奏部をフェルマータ付きで待機させ、高い2点ロ音を思う存分延ばさせる[譜例2]。要するに、ヴェルディは劇の局面をより効果的にすべく、カンツォーネの歌い方と末尾の処理を変えたのだ。それゆえ指揮者アルベルト・ゼッダは慣習的カデンツァの挿入を批判し、「誤った箇所に放り込まれた四つの下品な高音にいたっては、内面性を掘り下げる役割などはさらさらもっていない」と断じたのである。

 

           

                   譜例2

 そもそも〈女心の歌〉のカデンツァは、いつ頃から歌われたのだろう。筆者が音源で確認した最初は1930年ロレンツォ・モラヨーリ指揮の全曲録音で、これに先立つ単独録音と全曲録音では楽譜どおりに歌われている。19世紀末~20世紀初頭に活躍したフェルナンド・デ・ルチーア(1860-1925)の二種の単独録音も、テンポの過剰な揺らぎ、高音の引き延ばしと強弱変化(とりわけピアニッシモへの運び)、特殊なアクセントの置き方に特色があるものの、最後は楽譜どおりである。イタリア最古の全曲録音(1916年。グリエルモ・ソンマ指揮)も同様だ。ちなみにテンポ・ルバートが極端に多く、すべて歌い崩されているのが1930年全曲録音の特徴で、コロムビア社がイタリア、イギリス、アメリカで発売したSP盤15枚セットがその後の演奏の模範とされたようだ。

 

歌い終わりのアクート適用

 アリア、重唱、アンサンブルの歌い終わりにアクートを適用して延ばす用法に関して、ヴェルディが《イル・トロヴァトーレ》初演歌手カルロ・バウカルデや《運命の力》初演歌手エンリーコ・タンベルリックにハイCの付加をオーソライズした[認容/正当と認めた]とする説がある。だが、確たる根拠を欠き、証明しえた者もいない。にもかかわらず、それがヴェルディ歌唱の王道として発せられ、息の限りに延ばされるのだ。

 ヴェルディはそれ以前の作曲家と違って重要ナンバーの定型的終止に満足せず、曲ごとに歌い終わりを工夫した。ジルダのアリア〈グアルティエール、マルデ!〉もその一つで、2点ホ音を長く延ばしたトリルで終えるのは前例の無い用法と言える。その一方、ヴェルディがドラマティックなアリアや重唱曲に定型的終止を用いることもある。その場合は音楽が最も盛り上がる部分に、文字どおりのアクート(鋭く激しい高音)が与えられる。それゆえ歌い終わりにアクートを適用すると、原曲の歌の力点を最後に移し、音楽のあり方を損ねてしまうのだ。アクートを発する前の数小節、時には10小節以上も歌わずにいる歌手も多い。ヴェルディが書いた音符を歌わず、書かれていないことを歌うのが黄金時代の “ヴェルディ歌手” と、その模倣者なのである。歌い終わりの引き延ばしが、管弦楽の後奏と不協和音をきたすことも指摘しておきたい。ヴェルディまでの作曲家はそれをよしとせず、歌の最後の音符の長さを常に伴奏和音の枠内にとどめている。

 では、歌い終わりにアクートを適用する歌い方は、いつ始まったのだろう。これに関する確かな証言や資料は無いものの、筆者はヴェルディの存命中に始まったと推測する。ヴェルディがそれを容認したとの偽説も、この行為を正当化する目的を隠し持つからだ。それが広く定着した背景には、19世紀末から時代を席巻したハイ・ソプラノやソプラノ・レッジェーロが誇示した高音の影響も考えられる。《リゴレット》の1916年全曲録音では、第2幕ジルダとリゴレットの二重唱末尾にジルダだけがe♭’’’に立ち上げ、第3幕四重唱の末尾もジルダだけがアクートを発するのだ。プリマ・ドンナの勝手なふるまいは、生前ヴェルディが最も頭を悩ませたものの一つであった。

 

原典を知らぬ演奏家、批判校訂版から始まる新時代

 オペラの歴史を振り返れば、楽譜どおりに歌われた上演がゼロに等しいことが判る。商業演劇は観客を楽しませるために日々アレンジし、ヴェルディ以前の作曲家も報酬と引き換えに自筆譜とその使用権を興行師に譲渡していたからだ。再演で歌手が変われば作曲家はアリアの追加や差し替えに応じたから、完成作品という概念も無きに等しい。であるなら、「〈女心の歌〉で一番聴きたいのはカデンツァとアクートだ。それを作曲者の意図に反するから歌うなと言うのは、ムーティ、ゼッダ、日本ではお前だけ」と言われても仕方ない。リサイタルのアンコールなら、筆者もカデンツァを聴きたいと思う……たった2分間のカンツォーネだから、それなしには盛り上がらない。けれども上演や全曲演奏では、カデンツァ無しに劇を進めてほしい。カデンツァの後の喝采を想定して指揮者がオケを「ジャン!」と鳴らして止め、拍手が止んでから後奏を始めるなどもってのほか。アリアや重唱ごとに同じタイプのアクートを、馬鹿の一つ覚えみたいに聴かされるのも嫌。慣用的アクートの頻繁な適用は音楽の質を損ね、歌唱表現をワンパターンに貶めるからだ(演奏会での単独演奏なら話は別だが)

 この問題で付言したいのは、ヴェルディ中期の三大名作は20世紀後半のある時点までトスカニーニやセラフィンといった指揮者でさえ全曲を「鳴り響く音」として聴いたことがない、という事実である。上演と録音に使われるリコルディ社の貸し譜は、指揮者用の総譜、管弦楽パート譜のすべてにおいてカット箇所が紐やホチキスで綴じられ、演奏可能な部分もしばしば本来の音符に紙を貼って書き変えられた。ヴェルディのオペラを初めて指揮したムーティが手にしたのも、そんなカットだらけのスコアだった。オーケストラ全員の楽譜のカットを開き、貼り紙を剥がし、有名歌手にそれまで歌ったことのない曲を学ばせる指揮者は一人もいない。いたら演奏者全員から総スカンとなり、干されてしまうだろう。貸し譜は手書きで間違いだらけだから、そのまま演奏してもオリジナルどおりにならないという問題もあった。

 ヴェルディが楽譜に記した全てを知ることができるようになったのは、ヴェルディ全集の批判校訂版が誕生したおかげである。批判校訂版は自筆譜を原典としながらも、折々にヴェルディ自身が加えた変更、下書きや断片、同時代の主な筆写譜、初期の印刷譜、台本との異同を綿密に考証したエディションである。《リゴレット》の全集版は比較的早く1983年に成立したが、経験豊富な指揮者や歌手は新たなエディションを嫌い、旧版を用いて演奏慣習を踏襲してきた。若い世代も例外ではなく、アンドレア・バッティストーニも批判校訂版の意義を理解せず、演奏慣習から解き放たれてはいない。実演によってヴェルディ作品の真実と理想にふれる機会は、いまなお極めて乏しいのである。

 

 全集版を使用したからといって、演奏が一元的になるわけではない。作品理解に不可欠な情報を網羅したのが全集版だから、指揮者は楽譜と校訂者の注釈を読んで自分が演奏すべきものを選び取り、すべてを理解した上で、新たなカット、カデンツァや歌の変奏を適用しうる。歌手もヴェルディの意図を汲みつつ、創造的歌唱を求められる。その意味で “オリジナルの尊重” や “楽譜どおりの演奏” は建前でしかない。内面的なものを捉え、表現するのは常に演奏者なのだ。たった一つのフレーズも歌い方次第で表現と意味するものが異なる。指揮者も同じ楽譜から、まったく違う響きを引き出すことができる。重要なのは、ヴェルディの原典を絶対的基盤と位置付け、指揮者と歌手がみずからの良心と学識に従い、慣習や前例に捉われず真摯に楽譜と向き合う姿勢である。これは聴衆も同じ。耳に馴染んだカデンツァや旋律が無いからと不満を持つのではなく、聴くべきものは別にあると理解してほしい。                     

(みずたに あきら 音楽・オペラ研究家)