特設:ドニゼッティ《愛の妙薬》
ロッシーニの後継作曲家ドニゼッティの作品解説と資料を掲載する頁を特設します。この頁には喜歌劇の名作《愛の妙薬》の作品解説と楽譜資料を推薦盤と共に掲載します。あらすじと作品解説は2018年3月の新国立劇場プログラムに掲載されたあらすじと作品ノートの拙稿を改訂し、「ロマンツァ」を「ロマンザ」とするなど一部表記を変更しました。原作に当たるオベールの歌劇《惚れ薬[媚薬]》についてはこの頁の下部に掲載します。
(2026年5月16日公開。執筆&文責:水谷彰良)
筆者コレクションより《愛の妙薬》楽曲ピース初版2点、全曲ピアノ伴奏譜、オベールの歌劇《惚れ薬》の楽譜など。詳細は下記参照
ドニゼッティ《愛の妙薬》作品解説 水谷 彰良
題名 愛の妙薬 L’elisir d’amore
劇区分 2幕のメロドランマ・ジョコーゾ(melodramma giocoso in due atti)
台本 フェリーチェ・ロマーニ(Felice Romani, 1788-1865)
第1幕:全10景、第2幕:全11景、イタリア語 ドニゼッティのカリカチュア →
原作 ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベールDaniel-François-Esprit Auber, 1782-1871)作曲の2幕のオペラ
《惚れ薬(Le philtre)》のウジェーヌ・スクリーブ(Eugène Scribe, 1791-1861)による台本(1831年6月20
日パリの王立音楽アカデミー劇場[オペラ座]初演)
作曲 ガエターノ・ドニゼッティ(Gaetano Donizetti, 1797-1848)
作曲年 1832年4月頃~5月初旬(解説参照)
初演 1832年5月12日、ミラノ、カノッビアーナ劇場(Teatro alla Canobbiana)
登場人物
アディーナ Adina(ソプラノ)……裕福で気まぐれな若い女農場主。勝気だが、優しい心を隠し持つ
ネモリーノ Nemorino(テノール)……若い農夫。アディーナに恋する朴訥で無教養な青年
ベルコーレ Belcore(バリトン)……村の駐屯部隊の軍曹。色男を気取る単純な性格の持ち主
ドゥルカマーラ Dulcamara[註](バッソ・ブッフォ)……巡回薬売り。言葉巧みに怪しげな薬を売り歩く
註:初版台本の役名は「Il dottor Dulcamara」
ジャンネッタ Giannetta(ソプラノ)……明るく世慣れた村娘
ほかに、農夫、村娘、兵士、連隊の楽師たち、公証人、2人の召使、黒人(un moro)
あらすじ [略号] S:ソプラノ T:テノール Br:バリトン B:バス
【第1幕】
バスク地方[註]のある村。純朴な農民ネモリーノ(T)は、女農場主アディーナ(S)に恋をしている。木陰で読書に耽るアディーナは、トリスタンが惚れ薬でイゾルデ姫を射止めた話を村人に読み聞かせ、「そんな妙薬があったらいいね」と大笑いする。そこに色男を気取る軍曹ベルコーレ(Br)が兵士を連れて現れ、アディーナに求愛するが、彼女は「考えさせてください」と答え、すぐには応じない。二人のやりとりを聞いたネモリーノは、勇気を出して自分の思いを伝えるが、アディーナは「町に行って伯父さんの看病をしなさい」と言って取り合わない。
ラッパの音に誘われ広場に村人が集まると、馬車に乗った薬売りのドゥルカマーラ(B)が現れ、万病に効く薬を宣伝する。有り金をはたいて愛の妙薬(実は安ワイン)を買ったネモリーノは、その効果が一日後に現れると信じて飲み、酔って陽気になる。アディーナがネモリーノの態度に気分を損ねていると、ベルコーレが来て再び求愛する。そこに軍隊の出発命令が届く。「今日中に結婚しよう」とベルコーレに言われ、アディーナが承諾するので、驚いたネモリーノは明日まで待ってほしいと必死で訴え、皆の笑い者になる。
[註]ピレネー山脈を挟んでフランスとスペイン両国にまたがる地域。
【第2幕】
アディーナの農園の庭。アディーナとベルコーレの結婚祝宴が開かれ、ドゥルカマーラは花嫁を相手に余興の二重唱を歌う。公証人が来て、結婚契約のため皆が立ち去ると、ネモリーノはドゥルカマーラに惚れ薬をねだり、お金がなければだめと断られる。絶望するネモリーノを見たベルコーレは、「入隊すれば20スクードもらえる」と教え、その場で手続きさせる。
村の広場。ネモリーノが伯父の遺産を相続した、とジャンネッタ(S)から聞き、娘たちが色めき立つ。偽の妙薬を飲んで酔っ払ったネモリーノは、突然娘たちにちやほやされ、薬が効いたと喜ぶ。その姿にアディーナはショックを受けるが、彼が軍隊に身を売って惚れ薬を買ったとドゥルカマーラから教えられ、ネモリーノの強い愛に心を打たれる。
アディーナの愛を確信したネモリーノが「神様、もう死んでもいい、これ以上求めません」と感極まっているとアディーナが来て、入隊契約書を買い戻したと告げる。「愛してくれないなら兵隊になって死ぬ」と言うネモリーノに、アディーナは「愛しているわ」と答え、永遠の愛を誓う。幸せな二人を見たベルコーレはアディーナを諦め、ドゥルカマーラは村人の歓呼を浴びて去っていく。
解説
《ランメルモールのルチーア》で名高いガエターノ・ドニゼッティ(1797-1848)は、生前未上演を含めて約70のオペラを作曲した。《愛の妙薬》は喜歌劇のジャンルにおける彼の最高傑作であるとともに、伝統的なオペラ・ブッファからロマンティック・コメディへの転換点となっている。
北イタリア、ベルガモの極貧の家庭に生まれたドニゼッティは、ドイツ人作曲家ジモン・マイヤー(イタリア名シモーネ・マイール、1763-1845)の教えを受け、21歳を目前にヴェネツィアでオペラ作曲家デビューを飾った(《ブルゴーニュのエンリーコ》1818年)。ほどなく《グラナダのゾライダ》(1822年)で最初の成功を得たが、《アンナ・ボレーナ》(1830年)により脚光を浴びるまでの7年間はナポリの地域作曲家にとどまった。その間に頭角を現したのが、4歳年下のヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801-1835)である。《アンナ・ボレーナ》の3ヵ月後、ベッリーニが同じミラノのカルカノ劇場で初演した《夢遊病の女》は、ドニゼッティ作品を上回る人気を博した。
その9ヵ月後、ベッリーニはミラノのスカラ座で《ノルマ》を初演し、圧倒的成功を収める(1831年12月26日)。ドニゼッティもスカラ座から新作を委嘱されており、3ヵ月遅れて1832年3月13日に《パリ伯爵ウーゴ》を初演したが、台本が検閲に抵触し、上演が4回で打ち切られる失敗を喫した。そんなドニゼッティに急遽新作を求めたのが、貴族用のスカラ座とは別に民衆向けに建てられたカノッビアーナ劇場 [1] の興行師アレッサンドロ・ラナーリ(Alessandro Lanari, 1787-1852)だった。予定した作曲家が現れず、困り果てたラナーリから旧作の改作をもちかけられたドニゼッティは、「ぼくを馬鹿にしているのか? 自分の旧作や他人の曲を継ぎはぎする習慣はない」と腹を立てた。そして「14日間で新作を書いてみせる」と宣言すると、旧知の台本作家フェリーチェ・ロマーニ(1788-1865)を訪ね、一週間で台本を用意するよう頼み込んだという [2] 。
仕事を急がれたロマーニは、前年パリのオペラ座で初演されたダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール作曲《惚れ薬(Le Philtre)》のウジェーヌ・スクリーブ台本に原作を求めた。美人で気位の高いテレジーヌに恋した若い農夫ギヨームは、ライヴァルの軍曹ジョリ=クールを出し抜こうとして薬売りのフォンタナローズ博士から惚れ薬を買って飲むも効き目がなく、もう一瓶買うため軍隊に入隊する。それを知ったテレジーヌは愛に目覚め、入隊証を買い戻してギヨームとの結婚を決意するというのがその筋書きである [3] 。ロマーニはスクリーブの台本をイタリア語に翻訳し、原作にない第1幕フィナーレの四重唱、第2幕ネモリーノのロマンザ「人知れぬ涙」とアディーナのアリア「お取りなさい」の歌詞を追加し、登場人物の名前も変えて題名を《愛の妙薬(L’elisir d’amore)》と改めた。ドラマに感傷的な要素を盛り込み、登場人物の性格に深みを与えたのもロマーニの功績で、生き生きとしたレチタティーヴォも魅力的である。作曲期間はロマーニ夫人エミーリア・ブランカの回想録を基に14日間とされたが、ドレス・リハーサルの後に検閲官が上演許可を出したことからさまざまな修正を求められたと思われ、5~6週間を費やしたと推測しうる。
初演歌手は優れたメンバーが揃っていた。アディーナ役を務めたドイツ人ソプラノ、ザビーネ・ハイネフェッター(Sabine Heinefetter, 1809-1872)は22歳と若かったが美しい声を具え、15歳でオペラ・デビューし、ドイツとフランスで活躍していた。ベルコーレ役のフランス人アンリ=ベルナール・ダバディ(Henri-Bernard Dabadie, 1797-1853)もロッシーニ《ギヨーム・テル》タイトルロールを創唱した名バリトンで《惚れ薬》の初演でジョリクール役を務めた。ドゥルカマーラ役はスカラ座で活躍する滑稽バス歌手のジュゼッペ・フレッツォリーニ(Giuseppe Frezzolini, 1789-1861)が務め、ネモリーノ役のテノール、ジャンバッティスタ・ジェーネロ(Giambattista Genero 生没年不詳)だけが経験の浅い新人だった。
1832年5月12日、カノッビアーナ劇場で行われた初演は大成功を収めた。新聞批評は「音楽は最初から最後まで美しい」「ドニゼッティ万歳」と絶賛し(《ミラーノ特権新聞》5月14日付)、これを読んだドニゼッティが「褒めすぎも褒めすぎ、本当に褒めすぎです!」と当惑するほどだった(師マイール宛の手紙、同月16日付)。作品は瞬く間に流布し、国外でも1834年ベルリン(独語訳)を皮切りに、ウィーン(1835年)、ロンドン(1836年)、ニューヨーク(1838年、英語訳)、パリ(1839年)と次々に上演され、人気を博した。
《愛の妙薬》は従来のオペラ・ブッファの枠組みを超えた斬新なコメディである。なぜなら喜劇の常套手段というべき「変装」「人物の取り違え」「予期せぬ突発事」を用いず、農村が舞台なのに権力や抑圧の象徴である領主、代官、父親が登場しないからだ。それゆえ人物の一人一人が自分の心と感情に従って行動し、ヒロインのアディーナも劇中で真の愛に目覚め、みずからの意思で配偶者を選び取る。ネモリーノも単なる愚か者ではなく真摯な感情を隠し持ち、軍人ベルコーレも憎めない色男だ。ドゥルカマーラも調子の良い商人のカリカチュアであって、根っからの悪人ではない。恋の成就したカップルをよそに、「健康と美、陽気、幸運、お金」をふりまくドゥルカマーラがヒーローとなるフィナーレにも新たな時代の息吹が感じられる。
真実の愛と幸福を求めて葛藤する若者は、いつの時代も、世界のどこにも存在する。バスク地方の設定も特定の民俗色を背景にしたものではなく、のどかな理想郷(アルカディア)のシンボルと理解しうる。農村にとらわれず時と場所を現代に移した演出が増えているのも、この作品に備わる普遍性ゆえであろう。《愛の妙薬》が心あたたまる名作として世界中で愛される秘密もそこにある。
(水谷彰良 みずたに あきら)
[1] スカラ座と同じ建築家の設計で建てられ、1779年8月21日に開場した第2劇場。当初、新カノビアーナ劇場 Nuovo Teatro alla Canobianaと称さ
れたが、後にTeatro alla Canobbiana (またはCannobiana)の呼び名で定着した。
[2] F. Alborghetti e M. Galli, Gaetano Donizetti e G. Simone Mayr. Notizie e documenti, Gaffuri e Gatti, Bergamo, 1875. pp.77-78. この文章はロマー
ニの妻エミーリア・ブランカの回想録にも引用されている(Emilia Branca, Felice Romani ed i più riputati maestri di musica del suo tempo,
cenni biografici ed aneddotici ... Ermanno Loescher, Torino, Firenze e Roma, 1882. pp.217-218)。
[3] スクリーブの筋書きがシルヴィオ・マラペルタの『惚れ薬(Il filtro)』もしくはそれを翻案したスタンダールの小説『惚れ薬(Le Philtre)』(『パリ
評論』1830年)に基づくとする文献もあるが、どちらも事実に反する。
見どころ&聴きどころ
楽曲ナンバー(N.1~13)は自筆楽譜に基づくアルベルト・ゼッダ校訂版(1979年)に準拠。【 】内は楽曲間のレチタティーヴォ。
前奏曲 Preludio
独立した序曲ではなく、劇への導入の役割を果たす前奏曲。短いアレグロに続くラルゲットで牧歌的な主題を提示し、フルートとオーボエが装飾的に変奏する。
【第1幕】
N.1 導入曲
合唱と3人の主要人物のカヴァティーナで構成された導入曲。ジャンネッタを交えた農民の合唱の合間に、ネモリーノがアディーナへの憧れと切ない思いを歌う(「なんと美しく、なんと可愛い!Quanto è bella, quanto è cara!」)。読書するアディーナが笑い声をたて、トリスタンが魔法使いに愛の妙薬をもらってイゾルデを射止めた話を皆に読み聞かせる。「そんな妙薬があったらいいね」と一同大笑いすると、行進曲に乗って兵士を連れたベルコーレが登場し、アディーナへ大袈裟に求愛する(「愛らしいパーリデのように Come Paride vezzoso」)。「簡単に征服されないわ」と返すアディーナ、嫉妬に苦しむネモリーノ、娘たちの合唱を交え、華やかなアンサンブルのストレッタで締め括る。
【ベルコーレに兵士の宿舎を求められたアディーナが快諾し、一同その場を去る】
N.2 レチタティーヴォと二重唱(アディーナとネモリーノ)
ネモリーノは「ひと言だけ」とアディーナを呼び止め、恋心を打ち明けるが、彼女は「わたしは気まぐれよ」とはぐらかす。優美な旋律の二重唱「優しい微風に尋ねてごらんなさい Chiedi all’aura lusinghiera」が始まり、短い経過部を挟み、魅力的な旋律を共有する後半部では真剣なネモリーノと彼を諭すアディーナのすれ違いが浮き彫りになる。
N.3 合唱とカヴァティーナ(ドゥルカマーラ)
ラッパの音を聞き、村人が「偉い人が来る」と騒ぎ出す。そこに(台本のト書きでは、金色の馬車の上に紙切れや瓶を手にして立つ)ドゥルカマーラが現われ、香具師の口上よろしく万病に効く薬を宣伝し、村人を信用させる(「お聞きなさい、ああ村の衆よ Udite, udite, o rustici」)。頻繁に変わるテンポと拍子は、客寄せ、自己紹介、薬の説明…と変化するテキストに沿い、弾んだ旋律の伴奏で歌われる。最後は冒頭のラッパの旋律による3/8拍子のワルツ風音楽で明るく閉じられる。
N.4 レチタティーヴォと二重唱(ネモリーノとドゥルカマーラ)
村人が去ると、ネモリーノはドゥルカマーラにイゾルデ姫の惚れ薬をねだる。それはなんのことか、と訊かれたネモリーノが「つまり…愛を呼び覚ます不思議な薬のことで… Voglio dire… lo stupendo elisir che desta amore …」)と答え、二重唱となる。ドゥルカマーラが偽の惚れ薬を売りつけるとテンポをアレグロ・ヴィヴァーチェに速め、ネモリーノの感謝の言葉と彼の愚かさに呆れるドゥルカマーラの早口が見事な対照をなす。
【ネモリーノは愛の妙薬と信じて安ワインを飲み、徐々に酔いがまわる】
N.5 レチタティーヴォと第1幕フィナーレ
「ラララララ」と陽気なネモリーノを見てアディーナが戸惑う。二重唱、三重唱、四重唱とアンサンブルで構成されるフィナーレは、アディーナとネモリーノが心の駆け引きを演じる華麗なデュオで始まる(「喜んでいろ、薄情な女 Esulti pur la barbara」)。三重唱に転じ、ベルコーレがネモリーノの笑い声に腹を立てているとジャンネッタが来て、軍隊の出発命令が届く(以下、四重唱)。ベルコーレに今日中の結婚を求められ、アディーナが承諾すると、驚いたネモリーノは明朝まで結婚を延ばすよう訴える(「アディーナ、ぼくを信じておくれ Adina credimi」)。ホルンのソロを伴う哀切な旋律で音楽が真摯になり、嘆願するネモリーノ、彼を「間抜け」と吐き捨てるベルコーレ、「少し足りない子だから許してあげて」ととりなすアディーナの姿が感動的だ。「先生、先生!」とドゥルカマーラを呼ぶネモリーノをよそに、皆は楽しげなアンサンブルを歌って立ち去る。
【第2幕】
N.6 導入合唱
舞台上の楽隊を交えた陽気な音楽に先導され、結婚祝いの合唱が歌われる。続いてドゥルカマーラがアディーナを相手に女ゴンドラ漕ぎと元老院議員の二重唱「わしは金持ち、あんたは美人 Io son ricco, e tu sei bella」を披露するが、そこでの「お金持ちより愛する人が大事」の歌詞にオペラの主題が要約され、アディーナが後にネモリーノを選ぶ伏線にもなっている。公証人が到着し、レチタティーヴォを挟んで冒頭の音楽と合唱を繰り返し、ドゥルカマーラを残して全員去る。
【絶望するネモリーノに妙薬を勧めたドゥルカマーラは、無一文と知って彼を置き去りにする】
N.7 レチタティーヴォと二重唱(ネモリーノとベルコーレ)
結婚署名を夜まで待つよう言われたベルコーレは「女とは奇妙な動物だ」と呆れ、金がないと嘆くネモリーノに「入隊すれば20スクードもらえる」と教える。二重唱「20スクード! Venti scudi!」は、軍隊生活の楽しさを滑稽に繰り返すベルコーレと、「愛のためなら命を捨ててもいい」と心情を吐露するネモリーノの対比が際立ち、後半部のカバレッタでも入隊を喜ぶベルコーレと複雑な心境のネモリーノが対照的に描かれる。
N.8 合唱(ジャンネッタと村娘たち)
ネモリーノが伯父の遺産を相続して大金持ちになったとジャンネッタから聞き、色めき立つ娘たちの合唱。浮き浮きした気分を活写する音楽には、女の打算に対する皮肉も感じられる。
N.9 四重唱(アディーナ、ジャンネッタ、ネモリーノ、ドゥルカマーラ、合唱)
再びワインに酔ったネモリーノは、ジャンネッタと娘たちにちやほやされ、妙薬のおかげと喜ぶ。思いがけない出来事に戸惑うドゥルカマーラとアディーナ。音楽はアレグロ・ヴィヴァーチェ、3/4拍子に転じ、ストレッタではテンポを速めて4人の思いが交錯し、効果的なクレシェンドを用いてひときわ高揚する。
N.10 レチタティーヴォと二重唱(アディーナとドゥルカマーラ)
アディーナはドゥルカマーラから、ネモリーノが軍隊に身を売って惚れ薬を買ったと教えられる。彼女の感嘆で始まる二重唱(「なんという愛かしら! Quanto amore!」)は、感動するアディーナと彼女に妙薬を売りつけようとするドゥルカマーラの落差が滑稽味をかもし出す。経過部を挟んでのカバレッタでは、「優しい目、微笑、愛撫」を自慢するアディーナを見て、ドゥルカマーラが「彼女はわしより手管を心得ている」と感心する。
N.11 ロマンザ(ネモリーノ)
前曲のホ長調から遠隔調の変ロ短調に転じて歌われる感動的なロマンザ(「ひそやかな涙が Una furtiva lagrima」)。ドニゼッティが以前作曲した旋律を台本作者に弾き聞かせ、それに合う歌詞を書かせたといわれる。弦楽器のピツィカート、ハープの分散和音、ファゴットの哀切な前奏で歌い出され、「神様、死んでもいいです Cielo, sì può morir」で長調に転じ、切々たるカデンツァで締め括る。第2節をドニゼッティが変奏した別ヴァージョンでも歌われる。
N.12 レチタティーヴォとアリア(アディーナ)
アディーナが入隊契約書を持って現われ、「あなたの命が大切だから買い戻したの」と告げる。アディーナのアリア「お取りなさい Prendi」は、自分の思いを素直に語る優雅な旋律に始まり、経過部でアレグロに転じ、愛してくれないなら兵隊になって死ぬと言うネモリーノに向かって「愛しているわ」と告白、高揚した感情がカデンツァで爆発する(3点cに駆け上がって最高音を伸ばし、2オクターブ下に飛び移る)。続くカバレッタは三連音の連続で歓喜を表わし、半音階の上昇が華を添える。このカバレッタはしばしば短縮して演奏されるが、原曲は倍以上の長さがあり、ネモリーノも関与した重唱となっている。
N.13 レチタティーヴォと第2幕フィナーレ
ベルコーレはアディーナがネモリーノを選んだと知り、「女はいくらでもいるさ」とすんなり引き下がる。フィナーレは第2幕の宴会余興で歌われた二重唱の旋律による単純な終曲で、ドゥルカマーラが愛の妙薬の効き目を自慢し、村人の喝采を浴びながらヒーローのように去っていく。親しみやすい旋律を唱和する締め括りはオペレッタのフィナーレの先取りといえる。
(水谷彰良 みずたに あきら)
ドニゼッティ《愛の妙薬》の楽譜史料と推薦ディスク
N.11 ネモリーノのロマンザ「ひそやかな涙が Una furtiva lagrima」の初版楽譜
(リコルディ社、ミラノ、1832年。プレート番号 6423) 水谷彰良蔵
ドゥルカマーラのカヴァティーナ「お聞きなさい、ああ村の衆よ Udite, udite, o rustici」初版楽譜(リコルディ社、
ミラノ、1832年。プレート番号 6408) 水谷彰良蔵 ※ここには全12頁のうち最初の4頁を掲載
《愛の妙薬》の楽曲ピース(ネモリーノとドゥルカマーラの二重唱「ありがとう Obbligato」ミルズ社、ロンドン、1830年代。全5頁のうち冒頭2頁)、全曲ヴォーカルスコアのタイトル頁、楽曲目次、冒頭頁(ヴーヴ・ローネル版、パリ、1846年) 共に水谷彰良蔵
推薦ディスク(上演映像)
ドニゼッティ:歌劇《愛の妙薬》 2021年ベルガモ、ドニゼッティ・オペラ・フェスティヴァル
演出:フレデリック・ウェイク=ウォーカー、指揮:リッカルド・フリッツァ、リ・オリジナーリ、ドニゼッティ歌劇場合唱団、アディーナ:カテリーナ・サーラ、ネモリーノ:ハビエル・カマレナ、ベルコーレ:フロリアン・センペイ、ドゥルカマーラ:ロベルト・フロンターリ、ほか
収録:2021 年 11 月ベルガモ Naxos NYDX-50258 (BD) 国内流通仕様 日本語字幕付き
※ドニゼッティ・オペラ・フェスティヴァル、2021年(第7回)の上演映像。国内流通仕様盤の
解説とあらすじは筆者が執筆。アルベルト・ゼッダ校訂の批判校訂版とピリオド楽器オーケ
ストラの使用でも特筆したい。
ドニゼッティ:歌劇《愛の妙薬》 2005年4月ウィーン国立歌劇場
演出:オットー・シェンク、指揮:アルフレート・エシュヴェ、ウィーン国立歌劇場管弦楽団、同
合唱団、アディーナ:アンナ・ネトレプコ、ネモリーノ:ロランド・ビリャソン、ベルコーレ:レ
オ・ヌッチ、ドゥルカマーラ:イルデブランド・ダルカンジェロ、ほか
収録:2005年4月ウィーン WARNER TOBW-93050 国内盤 日本語字幕付き 廃盤
※ネトレプコとビリャソンのコンビで人気を博した上演。
ドニゼッティ:歌劇《愛の妙薬》 1991年11月 メトロポリタン歌劇場
演出:ジョン・コプレイ、指揮:ジェイムズ・レヴァイン、メトロポリタン歌劇場管弦楽団、同合唱団、アディーナ:キャスリーン・バトル、ネモリーノ:ルチアーノ・パヴァロッティ、ベルコーレ:フアン・ポンス、ドゥルカマーラ:エンツォ・ダーラ、ほか
収録:1991年11月ニューヨーク DG UCBG-9268 国内盤 日本語字幕付き
※パヴァロッティのネモリーノはオペラ・ファン必見!
オベール《惚れ薬[媚薬]》の楽譜史料と推薦ディスク
オベールの歌劇《惚れ薬》の初版楽譜(楽曲目次と第10曲ピース初版。トルプナ社、パリ、1831年。プレート番号 521-10)と
全曲ヴォーカルスコアの第2版(トルプナ社、パリ、1846年。プレート番号 1827 タイトル頁と楽曲目次) 共に水谷彰良蔵
推薦ディスク(唯一の全曲CD)
オベール:歌劇《惚れ薬[媚薬]》全曲
ルチアーノ・アコチェッラ指揮クラクフフィルハーモニー管弦楽団、同合唱団、ギヨーム:パトリック・カボンゴ、ジョリ=クール:エマニュエル・フランコ、フォンタナローズ:エウジェニオ・ディ・リエート、テレジーヌ:ルイザ・ファトヨル、ジャンネット:アディーナ・ヴィリキ
録音:2021年7月バート・ヴィルトバート Naxos 8.660514-15 (2CD)
1831年6月20日にパリ・オペラ座で初演されたオベール作曲の《惚れ薬[媚薬]》は、翌年ドニゼッティが発表した喜歌劇《愛の妙薬》の原作としても記憶される。台本作家ウジェーヌ・スクリーブによる物語の舞台はバスク地方のモレオン。農場主テレジーヌを慕う農夫ギヨームは彼女が読むトリスタン物語を聞き、イゾルデを恋に導いた媚薬の存在を知る。兵士たちが村に来て軍曹ジョリ=クールがテレジーヌに求愛すると、落胆したギヨームは巡業の偽医者フォンタナローズから有り金はたいて秘薬を買い、飲んで陽気になる。ジョリクールに出陣命令が下り、今夜結婚しようと言われたテレジーヌが同意するのでギヨームは絶望する。婚礼祝宴の余興の舟歌を経て、ギヨームはジョリ=クールの助言で軍隊に入る契約を結び、その金で再び媚薬を買う。叔父の遺産を相続したギヨームが村娘にちやほやされるのを見たテレジーヌは入隊証を買い戻し、「兵士として死にたい」との言葉に感動して彼の愛を受け入れる。
ご覧のように筋書きは《愛の妙薬》と同じだが、イタリアの声楽様式とフランスの伝統を巧みに融合するオベールの音楽は想像以上に活力と変化に富む。それゆえロッシーニ《オリー伯爵》に続いて現れた「プティトペラ」──神話、旧約聖書、史実に基づく「グラントペラ」とは異なる19世紀パリ・オペラ座の新たなジャンル──の名作と位置付けられる。
これは2021年7月ヴィルトバートのロッシーニ音楽祭が行った演奏会形式上演のライヴ録音で、筆者の知るかぎり全曲録音はこれが初。歌手はテレジーヌ役のファトヨルとジャンネット役ヴィリキがルーマニア人、ギヨーム役のカボンゴがコンゴ生まれ、ジョリ=クール役のフランコはメキシコ人、フォンタナローズ役のディ・リエートがイタリア人と国際色豊かな若手たち。全員がベルカントの技巧に秀で、オーケストラと合唱団も好サポート。指揮は2011~15年にルーアン=ノルマンディ歌劇場の音楽監督を務めたルチアーノ・アコチェッラ。この作品なくして《愛の妙薬》は存在しない。その意味でも貴重なアイテムだ。
(『レコード芸術』 2023年3月号掲載の拙稿より)